特別企画展「朝鮮の美術―祈りと自然―」が奈良市の大和文華館で6月30日から8月12日まで開催される。自然や信仰と造形の美しさが深く結びついた名品を展示し、その美の世界に迫る。瀧朝子・同館学芸部部員に文章を寄せてもらった。
◆人々の暮らしと結びついた造形美 瀧 朝子(奈良・大和文華館学芸部部員)◆
本展覧会は朝鮮半島の絵画や陶磁器、金工などの工芸品を、身近な自然の中に見出された美と、信仰の祈りが込められた装飾の美しさという二つのテーマに沿って展示する内容である。
柳の下の水辺で鳥が遊び、魚が悠々と泳ぎ、空には鶴が舞う。身近な自然の情景は、高麗時代の青磁や金属器といった工芸品の文様として特に好まれた画題だった。これらは繊細な線であらわされ、静謐な美が生み出された。
銅製銀象嵌柳水禽文浄瓶(図1、高麗時代)の胴部には、青銅の地に銀線を埋め込んだ象嵌の技法で文様があらわされる。枝垂れ柳と梅(春)や黄蜀葵(夏)、野菊(秋)、ヤマツツジ(春)と見られる花など、季節の異なる植物の傍では鴛鴦がくつろぎ、上空には鶴が舞う姿が見られ、自然の移り変わりを楽しんだ当時の人々の暖かな眼差しが感じられる。
高麗時代には銅製の水瓶は一般的に用いられていたようだが、浄瓶とは本来は仏具の一つであり、僧侶の持ち物でもあった。高麗時代の仏画では、楊柳(水月)観音図の多くにこの作品と同様の水瓶が描き込まれている。
青磁を代表する名品の一つとしては、青磁九龍浄瓶(図2、重要文化財、高麗時代)が挙げられる。水瓶の上半部と注ぎ口に合計九つの龍の頭を付け、胴部には波濤の中で身を躍らせる龍の胴部が精緻に彫り込まれている。比類のない複雑な造形と緊張感と躍動感を兼ね備えた姿で、墳墓から出土したという伝来とともに、日常に用いられたものではなく、奉納のために制作されたと考えられる。
統一新羅時代から高麗時代にかけては、仏教の信仰が隆盛する。遼(契丹)や元による侵攻を長年に渡って受けた高麗時代では、仏やその教えを荘厳して護国安民を祈るために、華麗な文様が描き込まれた仏画や金銀泥が用いられた煌びやかな経巻が数多く制作された。これらの作品は、当時の社会的な背景とともに人々の日常や理想の風景、また心情の一端が形ある美しさの中に体現されているといえる。
十四世紀の制作と考えられる大方広仏華厳経(図3、巻第三十六、高麗時代)は紺色に染めた紙に金泥線がまばゆい経巻だ。表紙は宝相華唐草で飾られ、経文も金泥で書写されている。この巻は華厳経十地品で、見返しには経典の内容である菩薩が悟りを開いていく十段階のうちの二場面が絵画化されている。余白を残さず、極細の金泥線で埋め尽くす描写により、光り輝く世界が描き出されている。
朝鮮王朝時代に入ると、陶磁器や金属製の文房具などには動植物のユーモラスとも見られる姿が大らかで力強い線であらわされるようになる。また自然を主題とした絵画では、文人が求める理想的な世界が水墨による山水図として展開された。
「煙寺暮鐘図」(図4、伝安堅筆、朝鮮王朝時代)は中国の伝統的な画題である瀟湘八景の一つを題材としている。水面から岩山の重なり、遠景に高く聳える山までが上へ上へと積み重ねられて画面が構成される。墨の濃淡やかすれによって幽玄な情景が描き出され、夕暮れの静けさの中に染み渡るように響く鐘の音が聞こえてくるようである。
以上に見てきた作品を含めて、本展覧会では大和文華館の所蔵品を中心に展示し、さらに特別出陳として、舎利や仏像を納めるための容器や厨子、香炉など仏教工芸品の他、鶴が並ぶ水辺の情景があらわされた高麗青磁の陶板をお借りして展示する。身近な自然や信仰といった、人々の暮らしと深く結びついて生み出されたそれぞれの造形の美しさとともに、作品に込められた想いやこれらに対する眼差しを、作品を通して感じていただければ幸いである。
■朝鮮の美術―祈りと自然―■
日程:6月30日~8月12日
場所:大和文華館(奈良県奈良市学園南1-11-6)
料金:一般600円、高大生400円
電話:0742・45・0544