ソウルで「告白 広告と美術 大衆」展と「郷 李仁星 誕生100周年」展、東京で「イ・チャンウォン展」と話題の3美術展が開催され、好評を博している。
韓国の広告の歴史に光を当てた「告白 広告と美術 大衆」展が、ソウル鍾路区・一民美術館で開催中だ。広告、美術、研究資料などを織り交ぜた展示となっている。広告を媒介にし、現代社会と大衆の価値観を解釈するのも興味深い。
韓国では広告を意味する単語として、「告白」が使われていた。1886年2月22日、漢城周報はドイツ商社の広告を「告白」として掲載、韓国初の新聞広告が登場した。以後、率直さを前面に出した「告白」は、広く知らせる意味の「広告」に変わった。
1階には、広告の歴史的意味とデザインの価値から選別された広告を展示。韓服姿の女性が堂々とタバコを吸う広告がある。これは1914年に毎日新報に掲載されたもので、タバコ会社の新築を祝う広告だ。
近代広告の胎動期から植民地時代を経た約120年間、広告は時代を映してきた。1930年代にもフィギュア金メダリスト金妍兒のような広告モデルが存在し、現代舞踊家・崔承喜が目薬広告に登場。
以後、ビールのような嗜好品、化粧品、映画、薬、調味料など、近代の幻想を抱かせる広告が続いた。
70年代には、仲良し兄弟の話を盛り込んだ即席ラーメンの広告がタイトル「兄さんが先に、弟が先に」で登場。弟子に弁当を譲る先生が現れる80年代の広告など、韓国人の感性の面白さも見ることができる。
2~3階には、現代の広告を成功、未来、信頼など8つのテーマに分類して展示。
会社のロゴが入った衣類や雑貨など、消費は商品だけでなくブランドを購入する意味も含むようになった。消費が自己表現の一つとなり、人の心を映し出している。8月19日まで。
「郷 李仁星 誕生100周年」記念展が、徳寿宮美術館で開催中だ。李仁星(イ・インソン、1912~50)は水彩画と油絵で最高の技量を誇り、韓国の近代美術史に足跡を残した西洋画家だ。
今回の記念展では、新たに発掘された16点を含む75点の絵画、ドローイング、200余点の資料が展示されている。
李仁星は大邱出身で、1931年の第10回朝鮮美術展覧会に出品した水彩画「歳暮街景」が特選で入賞。これを契機に、後援者の支援で渡日。31~35年に太平洋美術学校で絵画を学んだ。
以後は大邱と東京を行き来し、日本展覧会と朝鮮美術展覧会に出品しながら独自の絵画表現を確立。土俗的な色調、力強い筆使いが特徴的だ。
1945年からソウルの梨花女子高校で教鞭をとっていたが、韓国戦争時の帰宅中に警官の誤射で他界した。
初期の作品は大邱の桂山洞聖堂など洗練された近代的建物を素材にしたが、のちに郷土を追究。郷土は故郷の大邱や祖国の山川を意味する地理的故郷をさすと同時に、芸術的故郷を表している。
「ある秋の日」(1934)は異国的でありながらも、花と木で祖国の郷土色を表現した代表作だ。そのほか、「慶州の山谷で」(1935)、「ハマナス」(1944)なども郷土的素材の作品として、よく知られている。8月26日まで。
韓国の若手作家、李昌原の作品を紹介する「MAMプロジェクト017:イ・チャンウォン」展が、東京・六本木の森美術館で開催中。李は1972年仁川生まれ。ソウル国立大学校美術学校卒業後、ミュンスター芸術アカデミーで学び、ドイツを拠点に10年以上活動。現在はソウル在住。
李はトリッキーな作品を通して「見る」という行為に対する問いかけを行っている。
今回出品する「パラレル・ワールド」は、写真の切り抜きを使った作品で、切り抜いた空白部分に鏡と光を当てることによって、躍動感のあるシルエットが壁に生き生きと映し出される。
しかし素材となっている新聞や雑誌の報道写真には悲惨な場面も多く、紛争地域で倒れた人のシルエットが切り抜かれたものもあり、思わずはっとさせられる。
「パラレル・ワールド」は過去にも展示されているが、同展では東日本大震災を含む日本のニュースからのイメージやその他の新たなソースを含めた新作として発表した。
李は「雑誌や新聞はメディアが切り取ったイメージといえる。そのイメージから解放し、光と影を使って別の世界を表現したかった。また、この二つの世界は違うように見えるが実際にはつながっていることも描きたかった。社会問題に対して芸術は何ができるか、常に考えたい」と話す。
同展は10月28日まで。℡03・5777・8600。