韓日の子ども達の音楽交流クラシックコンサートが、ことし8月に都内で開かれた。韓国側は釜山少年の家、日本側は千葉県少年少女オーケストラのメンバー。音楽を通して両国の少年少女が友好を深める貴重な機会となった。
アメリカ人神父アロイシオは幼い頃から「貧しい人たちのために生涯を捧げたい」と願っており、釜山教区の神父として1957年12月、韓国の地に降り立った。
73年に少年の家と少年の家初等学校を創設するまで、無料診療所、無料学校、そして当時、周囲の浮浪児施設で虐待されていた子どもたちの孤児院など、貧しく力のない人たちのためにさまざまな事業を行った。
現在、釜山少年の家はマリア修道女の会が運営し、親と暮らせない、親を知らない子どもたちの家、アロイシオ中学校、高校、乳児院、無料病院、救護病院などを併設した施設になっている。少年の家は世界5カ国、13都市にあり、約20000人の子どもたちがシスターと暮らしている。釜山少年の家には1000人の少年少女たちがいる。
オーケストラの前身は79年、中学生を中心につくられたミサのための弦楽合奏部だ。
全国学生音楽コンクールでの優勝をきっかけに頭角を現し、実力をつけ、演奏の機会が与えられ、徐々にオーケストラという形式に変わっていった。
指揮者の鄭明勳氏は彼らのことをこう語っている。「 学生たちに合えば、”まず音楽をする意味を探せ”と強調する。でも釜山少年の家オーケストラの子どもたちにはそんなこと言う必要がない。音楽を信じる心と愛情をすでに持っているから。彼らが奏でる旋律は、どのオーケストラからも感じることができない特別な力がある」。
MOM(ミラクル・オブ・ミュージック)は鄭明勳氏が立ち上げた財団だ。アジアの友好をめざし、釜山少年の家オーケストラを積極的に応援している。二年前のカーネギーホール公演も然りだ。
ことし8月2日、東京のサントリーホールではMOMの主催により、韓(釜山少年の
家オケ)日(千葉県少年少女オーケストラ)の少年少女たちが、鄭明勳氏の三男鄭ミン氏の指揮でマーラーの交響曲一番「巨人」を演奏した。
コントラバスの李ジョンオク君は音大1年生だ。「弾いている時は幸せです。コントラバスがなかったら人生にどんな面白みがあるだろうか。音楽を通して幸せを分かち合いたい」。朴インヒョク君はトロンボーン奏者で、オケのまとめ役、マネージャーだ。「音楽をしていると心が安らぎます。音楽は教理のない一つの宗教だと思います」。
チェロの南ジン君(高3)は「家庭を持ったら妻には音楽を聞かせ、子どもにはまずピアノをさせるよ。音楽がなくなったら?ダメだよ、そんなのは!音楽は僕自身。心を伝えることができる」。同じくチェロの金ヨンハン君(院1)はこう話した。「音楽は希望を持てることを伝えられる。僕たちのような環境にあっても、音楽があったから人とのコミュニケーションもとれるんだ」。
「希望を持てと音楽を通して伝えたい」と音大をめざすヴァイオリンの李ソグォンさん(高3)も言う。「音楽の魅力は心の言語で話せることかな」。打楽器の李ハヌルさん(高2)は「一緒に暮らして、一緒に演奏できる。ここを出てもオーケストラは続けるよ、もちろん」と明るい。
アロイシオ神父は子どもたちにこう話していたそうだ。「君たちはぬかるみの中でよろめいている鴨として生まれたのではなく、空を飛ぶ鷲として創造された神の子だ」。与えられた音楽を通して彼らが培ったもの。それを生涯かけてこの少年たちは社会に還元していくことだろう。
とだ・ゆきこ 国立音楽大学声楽科卒業。元二期会合唱団団員。84年度韓国政府招へい留学生として漢陽音楽大学で韓国歌曲を研究。「町の音楽ネットワーク」ディレクター。著書に『わたしは歌の旅人 ノレナグネ』(梨の木舎)。