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2012/10/26

<韓国文化>版画、その精神と肉体の力

  • 版画、その精神と肉体の力①

                      黒田 雷児さん

  • 版画、その精神と肉体の力②

    洪 成潭『五月-23 銃、わがいのち』1987年 ゴム版・紙

  • 版画、その精神と肉体の力③

        金 鳳駿『お母さん、ただいま』1981年 シルクスクリーン・紙

  • 版画、その精神と肉体の力④

           李 允燁『ケクサリの人々』2003年 木版・紙

 福岡アジア美術館で、コレクション展「民衆/美術 版画と社会運動」が開かれている(12月11日まで)。黒田雷児・同館学芸員に文章を寄せてもらった。

◆民主化運動に貢献した美術 黒田 雷児(福岡アジア美術館学芸員)◆

 展示作業の日、洪成潭(ホン・ソンダム)作品『銃、わがいのち』の額を壁に立てかけた瞬間、目頭が熱くなった。その前にも、この作品を含む光州民衆抗争をテーマとした版画集『夜明け』(通称『五月版画』)が搬入されてすぐ、その古風な布の表紙を見たとき、オーラが発せられているようで、手をふれることができなかった。

 この展覧会は、福岡市美術館のアジア美術展時代に収蔵された閔晶基(ミン・ジョンギ、1949~)に加えて、今年に収蔵された金鳳駿(キム・ボンジュン、1954~)、洪成潭(1955~)、李允燁(イ・ユニョプ、1968~)の版画作品を集め、80年代・韓国の「民衆美術」の初期・盛期・その後の現在まで、版画というメディアが政治・社会・文化運動のなかでどのような役割を担ったかを示そうとするものである。(民衆美術史上で屈指の版画家だった呉潤(オ・ユン)の作品が欠けているのは残念だが……)

 閔晶基は79年に創立した〈現実と発言〉のメンバーであり、このグループは社会的現実を見つめ、解釈し、広範な大衆に向けて発信していくことで民衆美術の誕生を告げた。金鳳駿は、政治集会などで掲げる巨大な絵画(コルゲクリム)を最初に制作した作家とされ、83年に〈トゥロン〉(「畦」の意)を創立し、工場労働者や農民の闘争を支援した。〈トゥロン〉とともに「現場美術」活動で知られるグループが、79年に洪成潭が評論家崔烈(チェ・ヨル)らと結成した〈光州自由美術人協議会〉である。

 以上二人よりずっと若い李允燁は、はじめはあまりに民衆を理想化・英雄化した民衆美術が嫌いだったという。しかしその彼も、米軍基地の大秋里(テチュリ)への移転による強制退去に抵抗する住民を目の当たりにして、その闘争や日常を愛情とユーモアをこめた版画にした。のち「派遣美術」グループを結成し、キリュン電子、GM大宇、韓進重工業などで労働者の闘争の現場に赴いて支援活動を今も続けている。

 金鳳駿はシルクスクリーンを、洪成潭はゴム版も多用したが、社会運動との関連では、この2人と李允燁が使った木版画が最も重要である。木版画は、版画のなかでも容易に入手できる材料と簡単な技術で制作することができ、印刷原稿にもしやすいからだ。洪が光州の市民美術学校で木版画を教えたときは、フィールドワーク、討論、寸劇など、今でいうワークショップ的な手法によって、アマチュアや民衆を、権力やマス・メディアの受信者ではなく発信者として位置づけたのである。

 そもそも洪成潭自身が版画の専門家ではない。彼の使った彫刻刀は文房具屋で安く買える小学生用のものだし、プレス機など使わずにスプーンで刷っている。李允燁もやはりスプーンを使って大判のベニヤ板に厚い紙をあてて力をこめて刷るために紙に板がめりこんでいる。つまり彼の木版画には、彫るときの力だけでなく、刷る力も刻印されているのであり、これらの版画がしばしば印刷物として普及したにせよ、肉体の(つまり精神の)力の痕跡である現物を見る意義は大きい。

 福岡まで来ることができない人は、『洪成潭 光州「五月連作版画―夜明け」ひとが ひとを 呼ぶ』(五月版画刊行委員会発行、夜行社発売)で洪自身のつけた詩と4月に東京で行われたトークの記録を読まれるといい。この作家のすさまじい言葉の威力を受けよ!

 今回の『夜明け』全点展示では、一部の作品を、額装しない紙のままケース内で展示している。冒頭に述べたオーラにわけいって注意深くプリントをめくっていったとき、その紙のあまりの薄さに驚いたからだ。作家によれば摩耗した版なら薄い紙のほうが刷りやすいからだという。

 原版の一部も政府に押収され、このセットも作家の手元に残された最後の一部だった。強靱な思想と意志をもつ美術家と、その作家を投獄したり作品を破壊する権力の間で、かくも薄い紙に刷られた版画の束がかろうじて生き残り、福岡の展示室までたどりついたことには、感慨を禁じ得なかったのである。

 今やエンターテインメント産業に堕した日本の美術にほぼ絶望している私にとって、近い過去から伝わった強く激しい精神と肉体の痕跡はひとつの救済であったからかもしれない。


■民衆/美術 版画と社会運動■
日時:開催中(12月11日まで)
場所:福岡アジア美術館
電話:092・263・1100
料金:一般200円
http://faam.city.fukuoka.lg.jp/