韓日映画界についてのシンポジウムがこのほど、東京・四谷の韓国文化院で開かれた。両国映画交流に尽力する西村嘉夫・シネマコリア代表の報告を紹介する。
外国映画輸入配給協会の数字によれば、1981年から87年まで韓国映画の劇場公開はゼロ(映画祭や自主上映会の形では紹介されていた)。その後、88年のソウル五輪を契機に韓国文化紹介のムーブメントが起こり、そんな流れにも乗って韓国映画も劇場公開されるようになる。
しかし、その本数は年間一桁台でミニシアターでの小規模な公開。『風の丘を越えて~西便制』など高く評価される作品もあったが、一般的な認知度は高いとは言えないものだった。
そんな状況を打破したのが、2000年に公開された『シュリ』である。この作品が大ヒットしたことにより、年間公開本数は初の2桁に乗る。
01年には『JSA』、02年には『友へ/チング』と韓国で(当時の)歴代興行記録を更新した話題作が大規模に全国公開され、韓国映画の知名度は徐々に上昇する。
02年はサッカーW杯日韓共催の年で、映画の世界でも合作が何本か公開されたが、サッカーの盛り上がりほどには、映画界では公開本数・観客数ともに伸びなかった。
03年から04年にかけて『冬のソナタ』が放送され、空前の韓流ブームが到来。公開本数は04年に33本(合作含む、以下同様)、韓流シネマフェスティバルが始まった05年には64本と猛烈な勢いで増え、人気スターの出演作はもれなく日本公開されるようになった。
05年には『四月の雪』『私の頭の中の消しゴム』が、相次いで日本における韓国映画の興行記録を更新。しかし、ピークもまたこの年だった。
ブームの影響で韓国映画の買い付け価格は高騰。大規模に公開するも興行成績は期待したレベルに達せず を繰り返し、やがて日本の配給会社は韓国映画の購入に慎重になる。
そして韓国本国でも映画産業の右肩上がりの急成長に陰りが見え始めたことも重なって、09年の日本公開作品数は26本と激減する。
そんな流れを受けて迎えた2010年、日本における韓国映画配給にひとつの変化が訪れる。韓国の映画会社が日本法人を設立し、韓国映画を直接配給するようになったのだ。メジャー作品はCJエンターテインメントが、インディーズ作品はキノアイジャパンが「真!韓国映画祭」を通じて配給。また、DVDも韓国の会社が発売・販売するケースが増えてきている。12年に劇場公開される韓国映画は55作品だが、うち24作品は韓国の会社が提供・配給している。またDVDスルー(劇場公開されることなくDVDがリリースされる作品)は38タイトルあるが、うち26タイトルは韓国の会社が発売・販売している。
劇場公開とDVDスルーを合計すると12年には93作品が日本に商業紹介されるが、そのうち50作品は韓国の会社が関わっていることになる(2012年の数字は10月12日現在公表されている作品のみカウント、今後多少増える可能性がある)。
ちなみに、11年に韓国で封切られた韓国映画は150本なので、大雑把な計算だが、韓国で公開された韓国映画の3分の2程度が日本に商業紹介されていることになる。