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2013/03/15

<韓国文化>"在日としての存在"を表現

  • “在日としての存在”を表現

                 「色の位置 鉛筆+水彩」

 浦項市立美術館主催河正雄コレクション「Diaspora 孫雅由の抽象世界」展が、3月15日から4月28日まで、同美術館で開催される。在日2世の画家・孫雅由(1949~2002)の作品約500点を一堂に展示する。在日2世の河正雄・光州市立美術館名誉館長に、同展の意義について文章を寄せてもらった。

◆「身体・物質・宇宙」に世界 河 正雄(光州市立美術館名誉館長)◆

 孫雅由が生前「私の父母の故郷である浦項市に作品を寄贈し残したい」と私に語った事がある。コレクターとしてこの度、その夢と願いが実現する事を私は無上の喜びとする。

 孫雅由は1966年、高山登(1944年生・「もの派」の作家・在日二世)の「地下動物園」の製作を手伝い、表現活動を試み始める。反体制的な「自分達の美術世界」を志した事で、その後の作品は郭仁植、李禹煥、文承根と受け継がれた表現様式「もの派」の作家達と相互に影響を与え、受け合った事を窺う事が出来る。

 68年、多摩美大に入学するも中退し、「自らの表現様式」を模索、有為転変の「絵画の表現」を試みた。

 75年ドイツ留学を試みるが挫折、76年から京都に居を構え「静かな絵画」に、自らを表現する作品活動を本格的に開始した。77年から2年間、スコットランドに留学し、ルドルフ・シュタイナーの「人智学」を研究。団体、グループに所属せずに40余回の個展を開いた。在日作家の限界を超える国際的な活動を展開するが、01年に大腸癌の手術を受けるも、翌02年に早逝した。

 「記憶の奥底に蠢く痕跡。日々日常の出来事が漂泊していく。自己の体を通した作家の痕跡が、日常のフィルターを通してゆっくりと無意識の底に眠る。まだ見た事もない聞いた事もない記憶が浮上してくる。1つ、2つ、3つとおさなかったときの思い出、生まれてくる前の出来事……。この地球に私達が住み着く以前の記憶も」という孫雅由の文がある。

 在日韓国人でありながら、母国語を知らぬまま生きた慙愧の想い。「在日作家」としてのアイデンティティに苛まれた心の痕跡が、その文には良く現れている。

 「在日の作家は事物を客観的に見ることが出来る。自分を発見する適切な位置にある。芸術と言う仕事に携わって、常に韓民族の血を受けた自身を見つめさせられる」と、孫雅由は私に語った事がある。孫雅由にとって創作活動とは、在日韓国人としての自分の位置、自らの存在の探求であり、それは在日韓国人としての精神的な自立であったとも言える。

 孫雅由の作品のテーマは身体、物質、宇宙である。孫雅由独自の精神は「身体性」「物質性」である事は、「絵画に身体性を持たせている」という、自らの命題によって良く表されている。

 本展示は、1960年代から2001年代までの作品を時期、主題、形式別に、そして数多くの資料を展示して、孫雅由を回顧する遣作展である。「芸術家とは事物の内的な響きを感知し、それを芸術作品の中に具現する事が出来る、特殊な能力を持った者」だというカンディンスキーの言葉を借りるならば、孫雅由は真の芸術家であったのだと私は思う。

 作品「色の位置」には、唐辛子の赤色を連想させる民族的な色彩を使っている。そこから出自〈族譜〉が根幹にある事は、孫雅由の行動や作品に投影されていることを感じ取ることが出来る。

 孫雅由の作品からは、色々なジャンルの音楽がグローバルに協奏しているイメージがある。厳粛なクラシックもあれば、陽気で軽快なラテンやジャズ、洒落たシャンソンや哀惜漂うパンソリもあるというように複雑に色と線が音楽のように響き合っている。リズミカルで伸びやかな線の動きが自由を歌い、豊潤な色彩がハーモニーとなり平安を奏でている。

 残された作品は河正雄コレクションとして収蔵され、祖国の光州・浦項・釜山・大田の各市立美術館、朝鮮大学美術館などに寄贈された。孫雅由の作品が永遠に記憶され、愛されることになるであろう。


  河正雄コレクション「孫雅由の世界」寄贈展が、秋田県仙北市田沢湖図書館で開催中(31日まで)。水彩画など15点公開。