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2014/04/18

<韓国文化>韓国現代詩を日本に紹介

  • 韓国現代詩を日本に紹介①

    いばらぎ・のりこ 1926年大阪府生まれ。帝国女子医学・薬理専門校(現・東邦大学薬学部)に学び、1946年に繰り上げで卒業。金子光晴の作品との出会いから詩への思いを強めて「詩学」誌に投稿する。50年に医師の三浦安信と結婚。1953年に同人誌「櫂」の創刊に携わる。代表的な詩集に「見えない配達夫」「自分の感受性くらい」「歳月」など。99年に刊行された詩集「倚りかからず」は、詩集としては異例の売り上げを記録。また50歳の頃から韓国の言葉と文化に関心を寄せて学び始める。韓国現代詩人と交流を深め、韓国現代詩紹介で大きな役割を果たした「韓国現代詩選」により、1991年読売文学賞受賞。ほかにエッセー「ハングルへの旅」などがある。(ポートレイト撮影:谷川俊太郎)

  • 韓国現代詩を日本に紹介②

    茨木のり子翻訳による「韓国現代詩選」(1990年、花神社)。茨木本人の蔵書には校正用の付箋が幾か所も残されている

 韓国現代詩を日本語訳に翻訳・紹介するなど、両国文化交流に貢献した日本の著名な詩人、茨木のり子(1926―2006)の足跡を紹介する「茨木のり子」展が、19日から東京の世田谷文学館で開催される。茨木の業績と実像を知る貴重な展示会だ。

 茨木のり子は、現代の女性詩人のなかで最も人気のある一人である。詩の愛好者を超えて大きな反響を呼んだ「倚りかからず」、中学校国語教科書にも掲載されている「わたしが一番きれいだったとき」をはじめ、「自分の感受性くらい」「六月」「汲む」などの詩で知られている。

 「品格で書かれた」「人格で書かれている」とも評される詩の、自らを律し鼓舞する言葉は、読む人の心にも深く響く。

 同展では、詩稿、草稿、創作ノート、「櫂」同人をはじめとした詩人たちとの書簡、先立った夫のために書き、没後刊行された『歳月』遺稿など、貴重な資料を通して茨木の詩作世界をひもとくとともに、女性として日常を大切に暮らした姿も日記やスクラップブックなどから紹介する。


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