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2014/09/12

<韓国文化>韓流シネマの散歩道 第7回 「ネタ切れ」の深刻化が背景に                                  二松学舎大学 田村 紀之 客員教授

  • 韓流シネマの散歩道 第7回 「ネタ切れ」の深刻化が背景に①

    『カンチョリ オカンがくれた明日』(アン・グォンテ監督)

  • 韓流シネマの散歩道 第7回 「ネタ切れ」の深刻化が背景に②

    『私の頭の中の消しゴム』(イ・ジェハン監督)

  • 二松学舎大学 田村 紀之 客員教授

    たむら・としゆき 1941年京都生まれ。一橋大学卒。東京都立大学経済学部教授、二松学舎大学教授などを経て現在は二松学舎大学客員教授。

◆主題のシンクロ化の意味は◆

 映画用語でいうところのシンクロとは、映像と音声との同時化、すなわち同時録音のことである。これとは別の意味で、空間的にはまったく離れた場所で、ほぼ同時期に同じような出来事が起こること、つまり事象のシンクロ化がみられることが少なくない。映画の世界では、類似したテーマを扱った作品が空間的には離れた場所で、あいついで発表される不思議に注目してみよう。

 近いところでは、日本映画『明日の記憶』(06年)と韓国映画『私の頭のなかの消しゴム』(04年)が、ともに若年性アルツハイマー問題を扱って話題をよんだ。認知症を扱ったものとしては、島宏監督の先駆的な『朽ちた手押し車』が1984年に制作されながら、劇場公開が14年にまでに延びてしまった。三國連太郎・初井言榮の老夫婦と、田村高廣・長山藍子の長男夫婦の迫真の名演が、家族愛の美しさと、映画が先取りした問題の深刻さを静かに訴える。内容が暗すぎるというのがお蔵入りの理由だったのだろうが、とにもかくにも劇場公開を喜びたい。

 偶然だが2014年、認知症の母を抱える青年を描いた韓国映画『カンチョリ オカンがくれた明日』(アン・グォンテ監督、13年)が日本公開された。陽気な母親との深い絆で結ばれた息子が、母の手術費用のために釜山の裏社会の仕事に手を出すあたりから、映画はアクション物に変質してしまい、焦点の定まらない作品となってしまっている。ひと昔まえには、林権澤監督『祝祭』(96年)と伊丹十三監督の『お葬式』(84年)の相似ぶりが評判になった。時期的にはかなりずれるが、台湾映画『父の初七日』(09年)も、この系統の作品として記憶すべきだろう。空間的な距離に注目するなら、日本映画『そして父になる』と、イスラエル人とパレスチナ人のあいだで起こった子ども取り違え事件『もうひとりの息子』が胸を打つ。


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