朝鮮王朝時代の幻の烙画を記録した「柳宗悦も讃美した謎の焼絵発掘」(田部隆幸著、誠文堂新光社刊)が、このほど発行された。「烙画」とは、金属棒の先端を尖らせて火で熱し、焼きごてにして、紙・絹・竹に絵や文字を描く絵画の手法で、韓国では烙画、日本では焼絵といわれている。
烙画の始まりは、朝鮮王朝の第14代王・宣祖時代に、両班の女性のための最古に近い料理書『飲食知味方』を著した儒学者・李存斎の母、張氏夫人とされている。1598年(朝鮮暦宣祖31年)張氏実記に烙画が書かれている。第23代王・純祖の時代、1805年頃に朴昌珪が友人の書画人である金正喜たちと烙画を再興した。
朝鮮第24代国王・憲宗(在位1834~1849)は、復興された烙画の竹製きせるを献上された。竹に龍が円周上に描かれた文様の烙画の煙竹で煙を吸うたびに龍の鱗が縮まったように見え、また息を吐き出すと鱗が生き生きと動くように見え神業と賞賛されたとの記録が残っている。
韓国では知識人たちは、呉世昌著「槿域書画徴」、崔南善著「朝鮮常識問答集」などで、この超絶技巧を朝鮮王朝時代の「為我邦特技」、あるいは精密で神技の絵画であると絶賛した。点描は出来ても、描いている間に焼ごての温度低下で長い輪郭線を引くことなどは超絶技巧なので、常に伝統の継承には悩みがあったようで美術史からも、すでに忘れ去られている。
柳宗悦は、濱田庄司、河井寛次郎と1937年、全南の潭陽でかねて見たいと願っていた烙画を見学し、それに感動し、賛美した内容を機関誌「工藝」に「全羅紀行」として発表した(その時の柳宗悦蒐集の工芸作品「横笛」、きせるの「羅宇」が、同書にカラーで掲載されている)。
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