在日2世の河正雄・光州市立美術館名誉館長(75、埼玉県川口市在住)が収集した美術作品「河正雄コレクション」の一部が、日本の美術展で展示され、静かな話題を呼んでいる。河氏は在日画家の援助、韓日文化交流に長年尽力している。
◆失われ、忘れられた作家 河 正雄(光州市立美術館名誉館長)◆
2015年は光復70周年、韓日国交正常化50周年という節目の年である。この節目の年に「日韓近代美術家のまなざし―『朝鮮』で描く」展が企画された。同展は来年2月まで日本各地を巡回開催される。20世紀前半における韓日の美術、そして芸術家達の交流にスポットを当てている。韓日のわだかまりの根源と矛盾、「近代」という時代の流れを芸術の力で克服し、地平を切り拓こうとする展覧会である。
河正雄コレクションから全和凰作「ある日の夢(銃殺)」(1951年)、曺良奎作「31番倉庫」(1955年)など7点が展示されている。在日の作家、全和凰、曺良奎の作品が展示される意味は何か。河正雄コレクションの持つ意味は何であるのかを問う意義深い展覧会でもある。
いま、曺良奎(1928~不明、慶尚南道陜川出身)の仕事と人物について韓日の美術界での歴史的な評価が高まっている。彼の12年ほどの在日中における仕事を掘り起し見直す重要な意味を探る研究過程に入っていると言える。戦後、在日コリアンの美術が韓日の美術史の中で評価されず、研究もほとんどされなかった。忘れられ失われ、顧みられなかった。政治的、歴史的な事で制約を受け南北の分断そのものが理由であったのは不幸としか言いようがない。
「70年代以降の日本の美術は社会的主題を喪失(例外もあるが)してしまったが曺良奎の作品を除くと日本の戦後美術史は重要な一角を欠くこととなる。社会への矛盾と軋轢を絵画を通し、自分の主張として表していったのが曺良奎であった」。針生一郎は曺良奎をそう評価している。
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