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2015/07/03

<韓国文化>在日の苦悩、人間の生を見つめた画家

  • 在日の苦悩、人間の生を見つめた画家

    呉日展より「ポプラ」

  • 河 正雄氏

    ハ・ジョンウン 1939年東大阪市生まれ。韓国・朝鮮大学校美術学名誉博士。光州市立美術館名誉館長。ソウル特別市、釜山広域市、光州広域市名誉市民。財団法人秀林文化財団理事長。

 在日の画家、故呉日氏を追悼する「呉日画伯追慕『きらら』展」が7~11日、東京・四谷の韓国文化院ギャラリーで開催される。同展を企画した河正雄・光州市立美術館名誉館長に文章を寄せてもらった。

◆希望と光、夢を追い求めて 河 正雄(光州市立美術館名誉館長)◆

 呉日は、1939年12月25日、慶尚南道居昌出身の父・呉季龍、母・朴南伊の6男3女の次男として広島で生まれた。

 父は大正製薬に漢方の薬草を納めて生計を立てていた。1945年8月6日、広島に原爆が落とされたが幸いにも一家は無事であった。家族は避難の為に釜山に渡ったが、父は仕事の為に広島に残った。母は釜山に移り住もうと訴えたが、父は対馬で生活しようと主張して数年間、共に生活する事となった。

 対馬にいた頃の呉日は少年時代から毎日、絵を描いていた。父は絵を描く事に反対し、絵筆を便所に捨てた。呉日は便所から絵筆を拾って家の近くの海岸で洗いながら泣いたという。

 呉日は12歳の時に対馬から家出をした。以降、厳格な父に見つかったら殺されると思った呉日は家族との連絡を全て絶ったという。

 1961年から68年に日本アンデパンダン展に出品した。私の手元には『1961年故郷の母、62年煙突のある風景、67年犠牲者・燃え上がる四月、65年農夫・牛、66年鳥と少年』の出品記録がある。1962年から2014年まで、自由美術展に54回出品。そして佳作賞を2回受賞。終生、自由美術協会会員として活躍。64年から66年在日朝鮮青年展、64年から68年平和美術展、83年から86年黄土展に出品し、個展も04年まで35回開催している(04年以降記録不詳)。


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