アジア最大級の映画イベント「第20回釜山国際映画祭」がこのほど、釜山市内で開かれた。同映画祭で韓日映画交流について発表した門間貴志・明治学院大学准教授に、報告を寄せてもらった。
◆日韓友好願い映画人ら合作企画 門間 貴志(明治学院大学准教授)◆
今年の10月1日から10日間にわたって開催された釜山国際映画祭は、第20回目を数える。今年は、国内外の映画研究者や制作者が参加するフォーラムに参加したが、例年よりも規模が大きく、百人を超える登壇者があった。私も日韓の映画交流に関する発表を行なった。言及したのは日韓の映画史から忘れられた二つの映画についてである。
解放後の1948年、大韓民国が独立を宣言したが、連合国の占領下にあった日本は、韓国と国交を結ぶことはできなかった。1951年に独立を果たした日本はアメリカの仲介で日韓会談に臨んだ。解決すべき様々な問題が多く、交渉は紛糾し、1965年の第七次会談でようやく妥結し、日韓基本条約の調印に至った。
しかし当時は日韓それぞれの国内でこの条約締結への反対運動が起こった。韓国では条約は南北分断を固定化するものだと批判され、日本では冷戦に巻き込まれることが懸念された。日本は自民党が強行採決を行い、韓国では朴正熙大統領が戒厳令を敷いて反対運動を抑えこんだ。
この時期、韓国人の反日感情を緩和するために計画されたと思われる映画が存在する。一つは、申相玉監督の『李朝残影』(1967)であり、もう一つは金基悳監督の『愛は国境を越えて』(1965)である。『李朝残影』は国交正常化の2年後に公開されたが、もともとは1965年の公開を目指して計画されていた。原作小説『李朝残影』は作家・梶山季之によって書かれた。1940年代のソウルを舞台に、日本人の青年画家と韓国人の女性舞踊家の悲恋を描いた作品であり、日本の統治を批判的に描いてもいる。この小説が日韓最初の合作映画の原作として選ばれたのである。1964年に放映された美空ひばり主演のテレビドラマ『李朝残影』に感銘を受けた東亜日報の扈賢贊記者が、梶山に面会して合作映画の可能性を打診した。梶山はこれに合意し、準備のために訪韓した。
当時の新聞報道によれば、梶山は一週間の滞在中に多くの映画関係者に会っている。韓国映画界は「日韓合作映画は韓国映画界を挙げての念願であり、『李朝残影』はその題材としてもっともふさわしい」と熱意を見せ、韓国政府筋が非公式に協力を申し出たともある。国交のない状態での合作映画製作は困難なものであったが、監督と女優を韓国側、脚本と男優を日本側が用意することで合意した。
しかしこの映画は、1967年に合作ではなく「韓国」映画として完成した。合作が頓挫した理由の詳細は明らかではない。日韓両国の思惑が合致しなかったことは想像できる。また日本側では、製作母体となる大手の映画会社が、戦争の責任を一方的に日本側が背負う物語に難色を示したとも言われる。
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