◆映画館通して時代背景描く◆
今回は、映画作りを主題とした映画と、時代背景に映画上映館を配置して効果をあげた作品をとりあげる。まず、後者の代表的な作品としては、アメリカ映画『ラスト・ショー』(1971年)が忘れられない。テキサスの田舎町、若者たちの社交場だった映画館が閉鎖に追い込まれる。荒涼たる風景のなかでの青春群像描写は、さすがアカデミー賞映画とうならせる名品。
映画館の看板を巧みに利用して時の流れを語る特技をもつのが、林権澤監督だ。『将軍の息子』(1993年)や『下流人生』(2004年)では、裏社会の勢力争いと消長のプロセスを、看板を通じて上映作品の推移、したがって時代の流れを示してゆく。
特に『将軍の息子』は、植民地時代の鍾路界隈での、日本人と朝鮮人の二つの集団の交流を柱としたストーリー展開が見事。また『下流人生』は、やくざ稼業から映画作りに転身して資金繰りに悪戦苦闘する男を主人公とする。洋画上映館の看板がさりげなく時代を物語る。林権澤監督の芸は細かい。
映画作りのための資金集めといえば、1941年の李炳逸監督作品『半島の春』がその先駆といえる。タイトルの「春」は「春香伝」に掛けたもの。この古典の映画化資金集めに駆けずり回る男が主人公。李香蘭映画などの看板が挿入されている。
『半島の春』は、昨年末に企画され盛況のうちに終了したNFC(日本フィルムセンター)主催の特集「韓国映画1934―1959 創造と開化」で上映されたもののひとつ。韓国映画ファンにとっては垂涎の諸作品が一挙に公開された。
NFCはじめ韓国映像資料院ほかの関係者の努力に敬意と謝意を表しておきたい。
ところで、劇映画のなかの一部として利用させる他の劇映画のことを、「劇中劇」になぞらえて「映画中映画」というらしい。その例は枚挙にいとまがないが、男女のデートの場とか、追っ手を逃れて映画館に飛び込んだときのシーンだとか、設定は似たりよったりである。
それならいっそのこと、部分的に他の映画を借用するのでなく、映画作りのプロセス全体を映画化し、映画を撮りあげるまでの一部始終を商品にしてしまおうと考えるのも、自然の流れというものだろう。
つづきは本紙へ