河正雄コレクション「舞踊家・崔承喜写真展、跳躍そして拡張」が、ソウルの金熙秀記念秀林アートセンターで開催中だ(8月12日まで)。日本では韓国の絵本作家クォン・ユンドクさんのトークイベント&原画展が、東京・神田のカフェ・チェッコリで14日から25日まで開かれる。
◆ディアスポラの生を負った舞踊家 河正雄・秀林文化財団理事長◆
世界を舞台に巡回し公演した舞踊家・崔承喜(チェ・スンヒ)こそが、我が国最初の韓流スターであったと言える。当時、舞踊家・崔承喜は輝かしく光る星であった。ノーベル文学賞受賞者である「川端康成」は1934年に日本での公演「崔承喜の舞踊」を見て「日本最高の舞踊家は間違いなく崔承喜」と歎じた。
小学生の頃から崔承喜の消せない記憶を持っていた私は、1999年に「舞踊家・崔承喜」研究家である鄭炳皓先生(1927~2011)が所蔵していた写真フィルムをコレクションして光州市立美術館に寄贈した。そして関連した多くの資料を収集し、「淑明女子大学校アジア女性研究所」に寄贈した。
分断の状況で越北し、最後に政治的に粛清され、一生を締め切った悲運の芸術家であった。
崔承喜は悲惨な一生を終えてから長い間、南北両国に忘れられてしまっていたが、我が国が誇るべき最初の韓流スターである。
伝説的な舞踊家・崔承喜の芸術に対する夢と情熱は、私達の心の中で永遠に生きるだろう。時代の矛盾の中で時代を先行した舞踊家であり、ディアスポラとしての生を負った舞踊家、人間社会の矛盾と限界の中でも挫折しなかった不屈の芸術家である。
同展が彼女の魂との出会いの場となり、再評価のきっかけになる様に願ってやまない。
秀林アートセンターについてだが、私は美術コレクターとしての眼目と知恵を注いで、アートセンターを最大限なる芸術のカテゴリーと装飾で、教育文化を共有する豊かなライブヒーリングスペースを作ろうとした。
建物と触れる瞬間、感性ある芸術文化を感知出来る空間を作りたかった。一階から始まり、以前は貯水タンクが設置されていた屋上空間まで文化芸術の香りが漂う空間になる様にした。
美術品一つ一つとの対話を楽しみながら学ぶ場所、交流と親交のマダンとなる様に心がけた。韓国人と日本人、いや世界人が美術、音楽、舞踊などで人間が作り出した全ての芸術が多目的ホールで一つの調和が成し遂げられるよう、体験する教育、文化、美術、芸術空間として使用出来るようにした。
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