韓国の国民的詩人・尹東柱(1917~1945)が日本留学中に治安維持法違反で逮捕され、福岡刑務所で1945年2月16日に獄死してから71年が過ぎた。生前の尹東柱(ユン・ドンジュ)が通った立教大学でこのほど、沈元燮(シム・ウォンソプ)・獨協大学国際教養学部特任教授が「青年尹東柱の内面の闘いの記録」と題して講演した。その要旨を紹介する。
◆「青年・尹東柱の内面の闘いの記録」 沈元燮・獨協大学国際教養学部特任教授◆
尹東柱が世を去ったのは27歳。彼が抒情詩を書いたのは、およそ23歳前後から26歳前後まで。これは、尹東柱の作品ほとんどが、彼の青年期に書かれたものであることを示す。ゲーテは青年期を<疾風怒濤の時代>と定義した。青年期は内面的な葛藤が激しく、数多くの試行錯誤を繰り返しながら自己を形成していく時代であるという意味だ。
血だらけの歴史の祭壇に、自分の首を生贄として捧げた尹東柱。彼は、今は平和を愛する人々を一つに結んでくれる小さな星のような存在となった。しかし、彼は「成長痛」で苦しみながら必死に自分探しを行っていた一人の青年でもある。
今日は、青年・尹東柱、彼がなりたがっていたのは何だったのか、彼が抱いていた人生課題とは何であったのか、彼はその課題にどう向き合っていたのか、彼の精神の中を流れていた成長ドラマの一部を一緒にのぞいてみようと思う。
尹東柱の詩といえば、透き通った雰囲気の「序詩」や「星を数える夜」などを思い出す方が大勢いらっしゃると思う。しかし、彼の青年期の作品全体を一瞥すると、暗くて憂鬱な雰囲気の作品が多いことに驚く。
総18篇を収録する予定だった自選詩集の『空と風と星と詩』だけを見ても、10編が暗くて憂鬱な作品だ。自分や世間に対する嫌悪、恥、痛みと孤独感、原罪意識などを歌っている。こうして見ると、詩集『空と風と星と詩』の60%以上が暗くて否定的な雰囲気の作品であることが分かる。
尹東柱がもともと詩集のタイトルにしようとしていた「病院」を見てみよう。「病院」は一人ぼっちで肺病を患っている女性患者を、尹東柱が憐憫の目で見守る内容の作品だ。詩人は自分も彼女と同様に痛みと孤独を秘めていると告白する。
私もゆえ知らぬ痛みに久しく耐えて 初めてここへ訪ねてきた。<中略>この耐え難い試練、この耐え難い疲労、私は腹をたててはならない
尹東柱の性格がよく現れている作品だ。彼は人の悪口をいわないタイプの青年だった。悩みをじっと堪えるタイプ、他人には寛大で自分には過酷なほど厳しいタイプの青年だった。
尹東柱の作品の中でもっとも愛されている作品は「序詩」だ。尹東柱は詩集の出版のため、18篇の作品を選別し、序文の代りに「序詩」を書いた。1941年11月末のことだった。これは尹東柱が「病院」を含む自作を全て検討してから、その結論として「序詩」を書いたということを意味する。
したがって「序詩」は、尹東柱が自分の延禧専門学校時代を総決算する意味で書いた作品であったといってもいい。尹東柱のほかの作品に、躊躇し、懐疑する内容の作品が多いのに比べ、「序詩」が断固たる姿勢を示しているのにはこのような理由があったのだ。
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