韓国で1956年から97年までの42年間開催された高校野球大会に、日本から出場した在日コリアン620人の軌跡を追った韓国ドキュメンタリー映画『海峡を越えた野球少年』が東京・ポレポレ東中野で上映中だ。スポーツジャーナリストで同映画にも登場している大島裕史さんに、文章を寄せてもらった。
◆「在日の歴史、生き方」も描く 大島 裕史さん(スポーツジャーナリスト)◆
韓国のプロ野球で野球の神「野神」と呼ばれる現ハンファ監督の金星根は、京都で生まれ育った在日である。金が初めて祖国の土を踏んだのは、桂高校3年生の夏の1959年、在日僑胞学生野球団の一員としてだった。
夏の甲子園の出場を逃した在日球児を中心に構成された在日僑胞学生野球団の祖国訪問は、1956年に始まる。在日は、チームプレーやランニングスローなどの高等技術を韓国に広め、彼らが置いていった野球用具は、韓国では非常に貴重なものだった。
この祖国訪問には、張本勲も58年に参加している。この遠征をきっかけに張本の名は広まり、韓国の野球少年の憧れの存在になった。在日の祖国訪問試合は、各地で多くの観衆を集め、韓国に高校野球ブームが起きるきっかけにもなった。
70年代からは、新たに始まった鳳凰大旗全国高校野球大会に参加する形で、祖国訪問は続いた。この大会で在日は、74、82、84年の3回準優勝している。74年のメンバーのエースは、阪急を経て、サムスンなど韓国のプロ野球でも活躍した金本誠吉である。金本は90年代以降、韓国で二桁勝利を挙げた唯一の在日投手である。87年のメンバーの捕手であり主砲は、中日などで活躍した中村武志だった。
韓国のドキュメンタリー映画『海峡を越えた野球少年』は、82年の準優勝メンバーを中心に、話が展開する。82年のメンバーには、この年のセンバツで準々決勝に進出した和歌山の箕島の選手が3人含まれている。
82年の夏、甲子園では徳島の池田高校のやまびこ打線が猛打を発揮し、日本の高校野球はパワー時代を迎える。映画では、そうした時代が到来する前の、バットを短く持って、コツコツと当てていく、一昔前の高校野球が映し出されていて、私などには懐かしい。
会場は、この年の9月に開催される世界アマチュア野球選手権に合わせて完成した、ソウルの蚕室野球場。球場は満員の観衆で埋まった。韓国では、この年からプロ野球が始まると、高校野球の人気は徐々に衰退していくが、当時はまだ、大変な人気があった。
映像では、転換期にある日本と韓国の高校野球の姿が映し出されていて、貴重である。
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