◆在日選手のアイデンティティー描く作品も◆
スポーツ、セックス、スクリーンの3S政策といえば、アメリカ占領下の日本のことだと思いがちだが、韓国では朴正熙政権を継ぐ全斗煥時代の、厳しい言論統制の裏面を指すらしい。この三点セットの一翼を担う映画の歴史にとって、他の2Sがこの上なく重要な素材となってきた。セックスについては別の機会に取り上げるとし、ここでは映画におけるスポーツを話題にしたい。
まず、野球について語りたいところだが、作品が多すぎて選ぶのにひと苦労する。本家のアメリカに敬意を表して、『わたしを野球につれてって』(1949)を挙げる。ジーン・ケリーとF・シナトラのミュージカル・コメディー。七回終了時にこれを合唱するのがメジャー・リーグのならわしというのだが、すでに球場に来ている観客たちにこれを歌わせることの滑稽さについては、同名の佐山和夫著(アスキー新書)を見られたい。
韓国の野球の歴史は、大島裕史の『韓国野球史の源流』(新幹社)に譲る。
『爆裂野球団』(2002)は、半植民地化時代に結成されたYMCA球団が、連戦連勝のうえ日本チームに挑戦するが、反日運動とのからみで球団は解散に追い込まれる。宋康昊をはじめとする出演者のコミカルな演技を楽しみたい。
つぎに、台湾映画『KANO 1931海の向こうの甲子園』(2014)を紹介しよう。植民地時代の台湾で、嘉義農林学校野球部は、原住民族と漢族、そして日本人の混成チームだった。
日本人監督のスパルタ訓練に耐えた彼らは、台湾代表として、1931年の第17回中等学校野球大会に出場する。周囲の偏見や蔑視をよそにチームは勝ち進み、中京商業との決勝戦で敗れる。台湾内での熱狂はもちろんのこと、本土でも民族差をのりこえて嘉農を応援する声が盛り上がっていった。
開会式のシーンでは、嘉農のほか、大連や京城チームのプラカードも見える。つまりここでの野球の使命は、いわゆる「一視同仁」あるいは「五族協和」思想の実践手段の一翼だった。さきの『爆裂野球団』とは正反対の役割を担っていたことに留意したい。
つぎに、『海峡を越えた野球少年』(2014)では、野球が同胞を結びつける役割を果たす。朝鮮戦争後の1956年から開催された韓国の高校野球に、在日選手たちも参加した。韓国側には、彼らを通じて日本式の野球技術を習得しようという意図があったのだろうが、少年たちは、実際に祖国の土を踏んでみて、改めて民族のアイデンティティーの葛藤に悩むことにもなった。
このドキュメンタリー映画は、こうした事実を隠すことなしに、在日選手たちにその後の人生を語らせる。
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