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2017/03/10

<韓国文化>旧韓末の慶熙宮會祥殿を記録

  • 旧韓末の慶熙宮會祥殿を記録

    米国人宣教師が撮影した慶熙宮會祥殿の最後の姿

 旧韓末の慶熙宮會祥殿(キョンヒグンフェサンジョン)の最後の姿と、当時の先史時代遺跡を撮影した写真集が相次いで発表された。韓国の歴史研究においてどちらも貴重な資料だ。

 八角形の屋根に、正面が7間、側面が3間の大型殿閣の周辺に、雑草が生い茂っている。1661年に粛宗(スクチョン)が生まれ、一時は王と王妃の寝所だったところだが、膝まで育った雑草に囲まれている。この殿閣とつながった行閣の柱には、蔓が遡って屋根まで続いている。朝鮮末期王室の衰退を象徴的に示すシーンのようだ。

 国立民俗博物館が最近発刊したプリシラ・ウェルボーンエビ夫人(80)の寄贈資料集には、大韓帝国時代の「慶熙宮會祥殿」を撮影した貴重な写真が掲載されている。1930年代に火災で焼失した會祥殿の旧韓末の写真は、この一枚しか残っていない。日本は、日韓強制併合直後の1911年、慶熙宮に京城中学校を設立して、會祥殿を臨時小学校の教員寮として使った。會祥殿は、1930年代に日本の寺院の作務所に転用されるなどした。高宗が景福宮と慶運宮に、主に起居することにより、慶熙宮は放置された。1865~68年に景福宮を再建する際、部材確保のため、慶熙宮の一部の殿閣を解体した。

 この写真は、寄贈者であるエビ夫人の祖母であり、旧韓末に宣教師として活動したサディ・ウェルボーン氏が生前に所有していた。故人は、同様に韓国に宣教師として派遣されたアーサー・ウェルボーンと結婚し、後に米軍政庁通訳として勤務することになるヘンリー・ウェルボーンを生む。民俗博物館はエビ夫人から、大韓帝国時期の写真とヘンリー・ウェルボーンが収集した資料など計648点の寄贈を受けた。韓半島と深いかかわりを持つ米国人3代が眺めた旧韓末と独立直後の状況が、生々しく盛られた歴史的資料といえる。


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