韓国の国民的詩人、尹東柱(ユン・ドンジュ)の青春を描いた映画『空と風と星の詩人~尹東柱の生涯~』が、22日から東京・シネマート新宿ほか全国順次公開される。アジア映画の研究者、門間貴志・明治学院大学文学部芸術学科教授に、同映画について文章を寄せてもらった。
◆良心的日本人との交流に慰め 門間 貴志(明治学院大学文学部芸術学科教授)◆
同志社大学の前を通るたび、韓国の詩人、尹東柱を思い出す。日本に留学中に独立運動に加担したと疑われて逮捕され、福岡の刑務所で死を遂げた詩人として私の心に刻まれていた。
クリスチャンでもあった尹東柱は満州の間島出身で、ソウルの延禧専門学校(現・延世大学校)の文科在学中、創氏改名で「平沼東柱」となった。卒業後、父の勧めで日本に渡り、立教大学の英文科に入るも、一年を経ずに同志社大学英文科へ転学した。悲劇は在学中に訪れた。生前に彼の詩集が出版されることはなかった。三部だけ作った手書きの詩集「空と風と星と詩」が、後に韓国で出版され、彼は国民的詩人となった。
韓国語で書かれた詩をそのまま読んで味わうことは困難なことであるが、尹東柱の詩は比較的平易な言葉で書かれており、韓国語の拙い私でも辞書を片手に意味をたどることができる。
李濬益(イ・ジュニク)監督の映画『空と風と星の詩人~尹東柱の生涯~』は、彼の半生を抑制のきいたモノクロの画面で描き出している。植民統治下の受難を描いた韓国映画はこれまでにも数多く撮られてきたが、中でも芸術家を描いた作品には私の心に響くものがいくつもある。気のせいか、女性は音楽家や舞踊家として表象されることが多いのに対し、男性は文学者である傾向があるように思える。この映画でも名前が言及される李光洙(イ・グァンス)もその一人である。名前も言語も奪われ、空想することさえ許されない時代的状況を文学者に仮託しているのだろうか。
映画は治安維持法違反の容疑で執拗な尋問を受ける東柱と、彼の回想によって構成される。故郷の間島で一緒に育った同い年のいとこの宋夢奎(ソン・モンギュ)は京都大学で西洋史を学びつつ、祖国の独立という理想と信念のためにためらいなく行動する。詩人になることを夢想する東柱にとって、夢奎はまぶしい存在である。
東柱は禁じられていた朝鮮語での詩作を続ける。あの時代、多くの文学者は日本語での執筆を余儀なくされた。あるいは自ら日本語を選んだ者もいた。朝鮮だけではなく、台湾でも満州でも。
敬愛する詩人である鄭芝溶(チョン・ジヨン)との邂逅のくだりはさりげない描写ながら感動的である。日本語しか使えなくなる世の中で詩を書くということはいかなる意味を持つのかを東柱に問う。その一方で「いっそ日本へ行け。いい先生がいる。私も京都で幸せだった」と日本留学を勧める。勧めながらも
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