◆リベンジは誰のためのものか◆
リベンジ(復讐)劇は、それこそ掃いて捨てるほどあるのだろうが、掘り出しものも少なくない。まず、タイトルで気になるのが『復讐するは我にあり』(佐木隆三原作、今村昌平監督、1979年)。それもそのはずで、新約聖書「ローマ信徒への手紙」の中の有名な一句だ。リベンジ劇のほとんどは、この神の言葉の意味を取り違えている。
『復讐者に憐れみを』(2002年)の原題もまた出所は同じ。監督は朴賛郁で、『オールド・ボーイ』(04年、既述)、『親切なクムジャさん』(05年)とならぶ復讐三部作と称されている。
主演は宋康昊、申河均、裵斗娜という布陣。聴覚障害の少年を主人公に仕立てて、台詞を極端に削った三重の復讐劇である。
一方、『親切なクムジャさん』は、李英愛と崔岷植という著名俳優共演の復讐劇だが、ストーリー展開はかなり難解だ。冤罪で服役中は仲間から美人で親切なクムジャと慕われてきた女が、13年の刑期を終えて復讐計画を実行に移してゆく。服役中、練りに練った計画に齟齬が生じる過程が見逃せない。
『名もなき復讐』(15年)は、交通事故で言語障害に陥った少女が、自分を強姦した男たちに復讐してゆく。
彼女をかばう女刑事(ユ・ソイン)には妹がいて、やはり強姦の被害にあって言葉を失っている。脳死状態に陥った少女に代わって、女刑事が遂げさせてやる最後の復讐が、意外な結末となっている。
『鬼はさまよう』(15年)の原題は「殺人依頼」。雨の日ばかりに女性を襲う連続殺人犯。刑事の妹が被害者となり、その夫とやくざが交換殺人を計画する。原題がストーリー大半のヒントを与えてしまっている。
これに比べると、『さまよう刃』(イ・ジョンホ監督、14年)はなかなかの力作だ。原作は東野圭吾、2009年に寺尾聡主演で映画化されたもののリメークである。娘の強姦殺人犯を追うために刃を銃に持ちかえるところの説明も丁寧だと、日本でも好評を博した。父親役・鄭在詠の鬼気迫る演技が見もの。
金基徳作品の『殺されたミンジュ』(14年)は、少女ミンジュの仇とばかりに、社会悪を糾弾してゆく謎の集団の物語。マ・ドンソクほかの熱演は多とするが、話の構成に無理がありすぎる。むしろ『ある母の復讐』(12年)の原題のように、「公正社会」という、何とも皮肉なタイトルによって静かに社会批判をする手もある。しかしもちろん、金基徳がこの程度の糾弾で承知するはずはない。なお、紛らわしいが『母なる復讐』(12年)は、これとはまったくの別物。
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