◆鬼と化して悪魔を追うとき◆
前回とりあげたリベンジ(復讐)ものと重なる話題ではあるが、殺人犯を悪魔とみたてて追跡するドラマに注目しよう。その最たる例が連続殺人犯の場合だ。ときには加害者と被害者の位置が逆転し、追跡者が鬼と化して悪魔を追うこととなり、どちらが鬼でどちらが悪魔なのか、見分けがつかないことさえある。
最近の映画で話題となったものに、『殺人者の記憶法』(2017年)という風変わりな作品がある。主人公は初老の刑事で、じつは連続殺人犯でもある。彼の相棒はまだ若者だが、殺人の常習者という点では主人公の後継者。この映画が風変わりだというのは、主人公が認知症の兆候を自覚し、これに悩んでいるという設定である。
類似の設定は、イ・ジェハン監督の韓国映画、『私の頭の中の消しゴム』(04年)にある。あるいは、アメリカ映画『アリスのままで』(14年)をあげてもいい。ジュリアン・ムーア演じるアリスが、完全に記憶をなくすときに備えて、アリスのままでいられる日々を懸命に生きる姿を描いた感動作だ。
これらの作品からアイデアを借用したわけではないだろうが、それにしても、認知症に悩む連続殺人犯の刑事とは恐れ入った。キム・ヨンハの原作も好評のようだ。
単なる連続殺人事件では面白味がないとなると、奇抜な趣向を考案しようと、映画作家も必死にならざるを得ない。
『殺人の才能』(15年、チョン・ジェホン監督)は、主人公がなぜ自分に殺人の才能があることを「発見」するにいたったかを、こと細かく説明してゆく点で、やはりユニークだ。彼は、車を盗む技術や本物の監視カメラの所在を見分ける能力の持ち主。この才能は、保険会社員だったという経歴の賜物だ。そしてなによりも観客を引きつけるのは、彼が殺人の快感に溺れてゆく過程である。失業中の主人公に観客を感情移入させてゆく演出はなかなかのもの。
韓国もまた日本同様に、監視カメラが張りめぐらされた社会になっている。電線の地下埋蔵化が進まず、一歩裏通りに入ると電柱と電線が入り乱れている。そんなソウルの片隅で、監視カメラの位置を綿密にチェックしつつ殺人を重ねてゆく『悪魔は闇に蠢く』の主人公が住むのは、マンホールの下の地下道。ただしここで、名作『地下水道』を連想してはならない。地下道を掘って棲家とし、復讐を遂げようとするアメリカ映画『完全なる復讐』とも趣向は異なる。
「マンホール」を根城とする殺人鬼の被害者側では、
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