◆新世代映画作家の台頭◆
去る7月1日から9月8日にかけて、「戦後独立プロ映画のあゆみ」と題した特集が企画され、40もの作品が「ラピュタ阿佐ヶ谷」にて一挙上映された。
これを追うかのように9月26日から29日にわたり、アテネ・フランセ文化センターで、「韓国インディペンデント映画特集」が組まれ、後述の佳作5篇が上映された。どちらも映画ファンにとっては、このうえない喜びであり、こうした特集上映が今後も繰り返されることを願ってやまない。
映画がほとんど唯一の娯楽だったかつての日本では、映画産業は製作から配給・興業までの一切が、少数資本(5社、のちに日活を加え6社)による寡占支配のもとで、乱作競争の状態にあった。
当時の映画を観ると、製作者として最初に社長名がデンと出てくるのだが、観客はこれを何の疑問もなく、当然のこととして受け入れてきた。「米国の観客は監督よりも製作者を重視する」という話を聞いた私も、お国柄の違いと聞き流したものだ。
しかし、大資本のもとで幾多の名作が生みだされてきたとはいえ、ゴーサインの出ないまま没にされた構想、製作はされたもののお蔵入りとなった作品群、さらには、会社からはじき出された人材も少なくなかった。独立プロダクションの関係者に、いわゆる「社会派」の映画人が目立つのも、こうした事情を物語っている。
一方、アテネ・フランセが選んだ5作品とは、シン・ヨンシク監督の『鳥類人間』とアルバート・シン監督の『彼女のいる場所で』(ともに2014年)、同じく金スジョン『青い口のついた顔』と李スンウォン『コミュニケーションと嘘』(15年)、そして朴ホンミン監督『Alone』(16年)の5篇。なかでも、「鳥類人間」と「青い口のついた顔」を勧めておく。
もちろん、ラピュタ阿佐ヶ谷が取り上げた作品群とは、時代的に大きなズレがある。独立プロの諸作品は、
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