古畑徹・金沢大学人間社会研究域歴史言語文化学系教授が、古代中国東北部~朝鮮半島北部に栄えた渤海(ぼっかい)国について記した「渤海国とは何か」(吉川弘文館)を出版した。古代東アジアの国際交流を軸に、多種族国家の実像に迫った力作だ。古畑徹教授に話を伺った。
――本書執筆のきっかけは?
1998年が渤海建国1300年だったこともあり、この前後の時期に渤海国についての一般書・概説書が多数出版された。しかし、近十数年はそうした出版がなく、この間の研究の進展は一般に還元されていなかった。また、従来の一般書・概説書には渤海を「謎」や「幻」と捉えるものが少なくなく、ロマンティシズムで渤海国の歴史を語る、そうした本に強い違和感があった。
そんな時に出版社から本書執筆の誘いがあった。もともと1990年に金沢大学に赴任して以来、渤海史研究のパイオニアである鳥山喜一(1887~1959)ゆかりの金沢の地で、渤海国についての書物を書いてみたいという思いを抱いていたことも理由の一つである。
鳥山喜一は、1946年から3年間、金沢にあった旧制第四高等学校の校長を務めていた。
――渤海国とはどういう国だったか、その歴史的意義付けは?
渤海国は高句麗人と靺鞨(まっかつ)諸族からなる多種族国家で、非常に複雑で多面的な要素を持っていた。そのため、どのような歴史の枠組で渤海を理解するかで、その歴史的意義も異なってくる。
韓国史という一国史の枠組で見れば、高句麗の後継者で、新羅とともに韓民族の南北国時代を構成したという理解が成立しうるが、中国東北部と韓半島を一体にとらえる東北アジア史の枠組で見れば、この地域を新羅とともに南北に分割し、北部が韓半島と分離して中国と一体化していく分岐点にあたるという理解も成立する。
また、より大きな東部ユーラシア史という枠組で見れば、渤海の統治システムは契丹の二元統治体制の原型で、契丹・金・モンゴル帝国へとつながる中央ユーラシア型国家(いわゆる征服王朝)を準備したものと理解できる。環日本海(東海)域史という枠組で見れば、この地域がいくつかの国家にまとまっていく古代の方向性の最終段階に位置すると理解できるし、環黄海・東シナ海域史という枠組で見れば、9世紀初めの在唐新羅人たちとともにこの地域の海上交易を活発化させ、10世紀以降の東アジア交易圏を準備した存在と理解できる。
――韓国と中国では渤海国をめぐって意見の違いもあったが?
渤海国をめぐる韓中の歴史論争を、近年のこととしてとらえるのは間違いだ。韓国でも中国でも渤海の歴史は長い間忘れ去られていたが、20世紀初の日本の大陸侵略に対抗するなかで再発見され、それぞれの国の歴史家が強い思いを持ってその国・民族の歴史のなかに位置づけた。そのため、再発見の時点から両国の渤海国像はまったく異なっており、相容れない要素を持っていた。
特に中国では、
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