百済協会をはじめとする考古学・歴史学関連の10学会がこのほど、ソウル鍾路区にある興士団本部で記者会見を開き、「1500年ぶりに現れた百済大通寺の完全な調査と保存を促す声明」を発表して、文化財庁と忠清南道公州市などの関連機関に寺院跡保存のための対策を要求した。
大通寺がその実像を現したのは、ハンオル文化遺産研究院が今年1月から行ってきた忠南公州市班竹洞にある韓屋住宅敷地の発掘調査現場においてだ。調査の中で「通」の文字の一部が刻印された瓦が発見されたのだ。
「大」の文字は壊れていたが、日本植民地時代の調査当時に発見され、現在、国立公州博物館で所蔵されている「大通」瓦と同形だった。大通は、中国の梁武帝が527年から529年の間に使用した年号で、大通寺址は百済聖王(在位523~554)が建てたと伝えられる。
扶餘の王興寺や慶州の皇龍寺など、国家寺院の機能を果たした大型寺院に見られる「鴟尾」(瓦葺屋根の大棟の両端につけられる飾りの一種)と塑造仏像(粘土でできた仏像)などが出土して、学界から高い関心が集まっている。
百済史研究の権威、盧重國・啓明大学校名誉教授は、「1500年の時を経て大通寺の実体が明らかになった画期的な発見だ」とし、「大通寺址の研究を通じて百済の中興を率いた聖王時期の仏教思想と当時の首都である熊津(公州)の都市構造を確認できる貴重な機会になるだろう」と説明した。
問題は、現在発掘調査が行われている地域に、大規模な韓屋が建設される予定であること。また、大通寺址と推定される地域のほとんどに民間住宅が建ち並び、大規模な調査が不可能な構造となっている。
そのため学会では、文化財庁と地方自治体などの関係機関が史跡の指定と土地購入などに積極的に乗り出すべきだと主張している。
權五榮・百済学会長(ソウル大学国史学科教授)は、「今回発掘許可を受けた地域は204平方㍍だが、安全地帯などを除けば、実際の発掘面積は100平方㍍に過ぎず、大通寺推定敷地の1%も調査できなかった」とし、
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