1960年代末から70年代前半を舞台に、ある在日家族の生き様を描いた映画『焼肉ドラゴン』が、22日から全国公開される。鄭憲・アジアン美容クリニック院長に映画評を寄せてもらった。
◆厳しい歴史を生きた在日家族描く 鄭 憲さん(アジアン美容クリニック院長)◆
日本で数々の賞を総なめし、韓国でも非常な好評を博した演劇「焼肉ドラゴン」。残念ながら私自身は2008年初演、2011年、2016年と見逃し続け、次回の上演こそと待ちわびていた矢先の映画化の知らせに正直少し複雑な思いがあった。
もちろん、大いに期待する半面、果たして演劇ならではの臨場感や一体感が映画のスクリーンでは抽象化、一般化されどこか遠く感じてしまわないだろうかと。しかし映画初監督にも拘わらず鄭義信の手にかかるとそんな心配は杞憂となった。
舞台は高度成長期、関西地方の空港そばにある、トタン屋根長屋が連なる一角の小さなホルモン屋。この地域は戦時中、軍用飛行場建設のため多くの朝鮮人労働者が集められ住み着いた場所である。
戦後、空港は米軍に接収、周囲の地域も国有地として接収されるはずが、混乱の中で行き場を失った朝鮮の人々が住み着き、そこへまた日本の他の地域だけでなく、朝鮮半島からも同郷の知人や親せきを頼って人が集まり暮らしていた。
植民地時代、兵隊として徴兵され、左腕を失いながらも故郷の済州島に家族と共に帰るべく懸命に働き続けた「焼肉ドラゴン」の店主 金龍吉(キム・ヨンギル)もそんな一人。 一方、龍吉の再婚相手 英順(ヨンスン)も同じ済州島出身で、彼女は所謂「済州島四・三事件」後、娘一人連れ命からがら日本に渡りこの集落にたどり着く。朝鮮戦争後、反共を掲げてきた韓国では永らくこの事件への言及はタブー視されていたが、2003年盧武鉉大統領就任後、初めて国として島民に謝罪するとともに、真相解明、数万人といわれる犠牲者の名誉回復が宣言された。
韓国映画「jiseul(チスル)」はこの事件を題材に描かれた作品で、2013年にサンダンス映画祭(米国ユタ州)で韓国映画として初めてワールドシネマグランプリを受賞している。そして今年の4月3日、文在寅大統領は追悼記念式に出席し改めて盧大統領の意思を引き継ぐことを誓う演説を行っている。在日一世の歴史的背景、そして店主夫婦のように何故様々な困難と闘いながらも異国の地にしがみつき生きざるを得なかったかを理解する上で、忘れてはいけない歴史である。
映画は大阪万博開催の直前の1969年、金家の長男 時生(ときお)が〝嫌いだった〟町の細い路地―子供らの笑い声と泣き声とわめき声、おっちゃんやおばちゃんが怒鳴りあう声が朝から晩まで騒がしい―を通り、実家「焼肉ドラゴン」に帰ってくるところから始まる。
鄭義信監督が演劇の戯曲を執筆する最中、
つづきは本紙へ