朝鮮美術文化研究家の古川美佳さんが、新著「韓国の民衆美術(ミンジュン・アート) 抵抗の美学と思想」(岩波書店)を出版した。古川さんに韓国民衆美術とは何か、話を聞いた。
◆「韓国の民衆美術 抵抗の美学と思想」を出版して 古川 美佳(朝鮮美術文化研究家)◆
―本書執筆の動機は。
初めて韓国を訪れたときに仏像や古墳の美しさに感動と衝撃を受け、日韓の歴史を学ぶうちに、あたかも朝鮮の美を否定するかのような日本人の歪んだ朝鮮観に疑問を感じ、芸術とは何かと自問せずにはいられなかった。そして韓国の民衆美術に出合い、芸術とは社会とともにあり、歴史や政治と切り離せないことを実感した。
人間の本質的な抗いの精神から発せられた民衆美術の抵抗の表現は、私たちに植え付けられた芸術への固定観念や朝鮮への先入観などを払拭する手だてになるはずだとの思いで執筆した。
―民衆美術の定義とは、始まりはいつからか。植民地から現在までの動きをお願いしたい。
植民地下の朝鮮でプロレタリア芸術運動が芽生えリアリズム美術の機運が生じたが、朝鮮総督府による過酷な弾圧で消され、解放後の韓国では反共という国是のもとリアリズム美術の根は途絶えた。やがて4・19学生革命を経て、「芸術は現実の反映である」と謳った金芝河の「現実同人第一宣言」が1969年に登場する。これに刺激を受けた芸術家たちが1979年にソウルと光州で、現実の矛盾を描き社会参与を標榜するリアリズム美術の小集団を結成したのが民衆美術の始まりと言える。しかし1980年光州民衆抗争の打撃を受け、沈黙の後、80年代中盤になって各地域に美術小集団が生まれ、1987年六月抗争を山場に民主化闘争と呼応する民衆美術が花開いた。
―洪成潭さんなど重要な作家たちについて。
光州民衆抗争の真実を伝えた「五月版画」の洪成潭(ホン・ソンダム)、朝鮮民衆の典型を示した呉潤(オ・ユン)、金鳳駿(キム・ボンジュン)、済州島4・3事件を露わにした姜堯培(カン・ヨベ)、催涙弾死した李韓烈のコルゲクリム(掛け絵)で知られる崔秉洙(チェ・ビョンス)、女性労働者たちに光を当てた金仁順(キム・インスン)や成孝淑(ソン・ヒョスク)などが代表的な作家たちだが、本書では無名匿名の表現者たちの軌跡も記した。
―民衆美術とフェミニズムアートについては。
男性主導の民主化闘争では女性たちの声は反映されにくかったが、民衆美術の女性作家たちが女たちの抑圧の記憶を描きはじめた。
彼女たちの勇気ある表現は当時「女性美術」と呼ばれ、韓国フェミニズム・アートを牽引する土壌となった。その背景には、女性解放を追求した80年代初めの女性運動団体の台頭があった。
―民衆美術と日本との関係は?
日本の美術界では欧米モダニズムの洗礼を受けた抽象芸術かアカデミズムが紹介され、民衆美術は一顧だにされなかった。しかし目を凝らすと、
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