◆家族の絆、その強さと脆さ◆
『万引き家族』(2018年)が引き続き各国で好評を博しているようだ。まったく血のつながりを持たない老若男女の集団が「家族」を構成し、老人の年金以外は不安定な収入や万引きなどに頼って生計を立てているという設定のユニークさが、何よりもまず目を引く。
いわゆる「疑似家族」なのだが、彼らを通じて現代日本の隠れた一面を告発する是枝裕和監督のメッセージは、鋭く観客の胸をえぐる。
芸達者な出演者たち、なかでも樹木希林、リリー・フランキー、安藤さくらといった配役は豪華このうえない。「家族」とは何かを、改めて考えさせる。
家族を夫婦とその血族を以て定義したとしても、日常生活に追われる個々人の意識はバラバラになりがちである。小津安二郎の名作『東京物語』は、家族の絆のそんな脆さを、冷酷に突き放すのではなく、限りない温かみで包み込んでゆく。これをリメークした山田洋次監督の『東京家族』(2013年)、あるいは同監督の『家族』(1970年)や『おとうと』(2010年)などは、むしろ血のつながりの強さに力点を置いている。
血縁の強さとマフィア・ファミリーの結束度合を見事に対比した『ゴッド・ファーザー』(1972年、F・F・コッポラ監督)は、結局、前者が後者に勝ることを謳いあげる血縁賛歌となっている。しかし、血のつながりは「家族」意識にとって必須条件なのだろうか。上記『万引き家族』は、この疑問へのひとつの回答でもある。夫婦とは、親子とは、そして家族とは何かという問題は、民族や国家の枠を越えて普遍的な関心の的となる。したがってこれを主題にした映画や小説は、数えきれない。
そこでまず、最近の韓国映画から二作をとりあげてみよう。『いつか家族に』(2015年)は、中国の作家・余華の『許三観売血記』(日本語訳は『血を売る男』、河出書房新社)をもとに、舞台を韓国に移しかえて映画化したもので、原題は『許三観』。河正宇が監督と主役を兼ねて大活躍する。
婚約者がいるのを承知で街一番の美女を妻とするのに成功した許三観は、三人の息子に恵まれ、それぞれ一楽、二楽、三楽と名づける。ところが長男の一楽が、三観に似ていないとの評判が立つ。そんなことがあるものかと、友人たちの前で血液鑑定結果を読み上げた三観は絶句。可愛がってきた一楽が、じつは妻の元婚約者の子だった。
人前では長男を邪険に扱う三観だが、
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