戦後日本のグラフィック・デザインをけん引した粟津潔(あわづ・きよし)の没後10年を記念して、「粟津潔デザインになにができるか」展が今月下旬、金沢21世紀美術館で開催される。粟津潔スピリットを現在独自に体現していると息子の粟津ケンさんが選んだ、梁民基(ヤン・ミンギ)さん収集の韓国民衆版画も展示される。
粟津潔(1929~2009年)は独学で絵・デザインを学ぶ。1955年、ポスター作品《海を返せ》で日本宣伝美術会賞受賞。戦後日本のグラフィック・デザインをけん引した。さらにデザイン、印刷技術によるイメージの複製と量産自体を表現として拡張していった。80年代以降は、象形文字やアメリカ先住民の岩絵調査を実施。イメージ、伝えること、ひいては生きとし生けるものの総体のなかで人間の存在を問い続けた。その表現活動の先見性とトータリティ(全体性)は現在も大きな影響を与えている。
同展では「社会性のデザイン」で、原水爆禁止日本協議会や、韓国の民主化闘争を支持するデザインなど、粟津潔が手掛けた社会派のデザインを一堂に展示。「拡張する粟津スピリット」では、「韓国民衆版画」を展示する。韓国民衆版画は、1970年代後半から韓国の民主化運動と呼応して生まれた民衆美術の作家たちによってつくられた。民主化運動の「抵抗の武器」として、地下で手から手にわたった民衆版画は、海を越え、日本にも息づいていた。
在日2世の梁民基さんが民衆文化運動の一つ「マダン劇(広場の演劇)」を日本に紹介し、大阪・東京・京都を中心に文化運動を実践する過程で版画を入手し、民主化を支援した。それは在日韓国・朝鮮人に厳しい日本社会にあって、彼ら自身が民族文化とのつながりを確認する作業でもあった。今回展示される木版画は、「みずからの文化を創造する」彼らの営みの軌跡といえる。
現在も京都の「東九条マダン」で、梁説さんが父の信念を受け継ぎ、民俗文化を守りながら、「共生」の社会構築をめざし発信している。
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