◆中国、台湾、東南アジアで先に話題◆
その昔、台北の街角での話である。たまたま、日本の歌謡曲集という音楽テープをみつけ、中身を確かめることもなく買った。帰国後、聴いてみて驚いた。B面の最後の曲が、なんと韓国の『ナグネ・ソルム』(旅人の哀しみ)だったのだ。
最初は、日本の演歌(艶歌)と韓国のそれとを混同したのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。全曲中国語で歌っており、日本人の歌手もこの曲をカバーしていたから、日韓の歌謡曲の区別などは、どうでもよいのだと気づいた。
なにせ、私が熱烈なファンであるテレサ・テン(鄧麗君)が日本の歌を中国語で唄っているのを聴くと、国の違いなど、いとも簡単に消えてなくなる。例えば、日本の『港町ブルース』は、彼女の『誰来愛我』に、つまり、ご当地巡りが、恋待ち女に化けてしまう。
しかも例の艶っぽい美声で、「不知誰来愛我!」と唄いあげられると、もはや完全にテレサ・テン節になってしまう。
韓流シネマにとっても同様に、台湾と香港は大のお得意様だった。韓国最初の輸出映画は1957年、『アリラン』、『黄真伊』、および『山有花』の三篇で、相手は台湾と香港。大陸とはまだ国交がなく、対日および対米輸出が始まるのは62年、それも輸出総計で5本というお寒い状況だった。海外輸出が三桁に達するのは69年、そしてピークは翌70年の242本。この伸びは、日本以外のアジア市場の開拓努力の結果である。国内の製作総数が200本前後だったから、大健闘というほかない。
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