◆「作家主義」と「商業主義」◆
洪尚秀監督の『小説家の映画』(22年)を観た。相変わらず、単純で難解、評価に手こずる作品である。プログラムを買うつもりで売店をのぞくと、『作家主義韓国映画』という書物があった。発売元はライスプレス社。監督別に個別販売できる仕組みになっていて、ささやかな商魂が微笑を誘う。
この本は、李滄東・朴賛郁・奉俊昊など、都合11名の著名監督列伝であり、洪尚秀は最後に登場する。そこで、「作家主義」の定義を探すと、ようやく張建宰論のところで、韓国では90年代に流行った言葉だが、もとをただせばフランスの映画雑誌が、ジョン・フォードやA・ヒッチコックなど、独自の世界を売り物にした映画作家を指すとのこと。
これでは「商業主義」と区別がつかない。上記3名や洪尚秀が外貨獲得にどれだけ貢献してきたかは、言うまでもない。
狭義の作家主義といえそうな作品では、真っ先に張建宰の『ひと夏のファンタジア』(14年)と張律『慶州』(21年)が思いつく。キム・ボラ『はちどり』(19年)やユン・ダンビの『夏時間』(20年)なども忘れ難い。
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