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2024/11/22

<韓国文化>朝鮮王室の悲劇とは

  • 朝鮮王室の悲劇とは

    思悼世子の廃位について書かれた文書

 朝鮮王室で類例のない悲劇、思悼世子(サドセジャ、1735~1762)の人生にスポットライトを当てた展示「思悼世子と二人の王の視線」が、京畿道城南市の韓国学中央研究院「蔵書閣」で開かれている。同展では思悼世子を見る交錯した視線に注目した。

 1762年5月13日、昌徳宮では恐ろしいことが起きた。
 「王が世子(世継ぎ)に、冠を取らせ、裸足にさせ、頭を地面につかせ、次に、聞くに堪えない言葉を命じたが、それは自決を催促することであり……」

 朝鮮第21代王の英祖(在位1724~1776)は、息子の世子の地位をはく奪し、米びつに閉じ込めた。40歳を超えて得た大切な息子だったが、王は厳しかった。蒸し暑い日、世子は米びつに閉じ込められ、8日目で亡くなった。


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