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2007/10/27

<韓国経済>韓国進出日本企業インタビュー・競争から共創へ 第8回                                          ~韓国丸紅代表理事 菅原 和夫氏~

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    すがわら・かずお 1951年、東京都生まれ。一橋大学商学部卒。75年、丸紅入社。LNG事業部長、エネルギー部門長補佐などを経て、2005年4月から韓国丸紅代表理事社長。

 ――韓国とのビジネス交流の歴史は。

 当社は1960年にソウル事務所を開設し、1967年に支店に改組した。79年には現在のオフィスがあるロッテビルに移転し、1995年に丸紅本社100%出資による現地法人を設立。通貨危機のあった98年に丸紅ソウル支店と現地法人を統合し、新生韓国丸紅が誕生した。

 むかしは繊維関連事業を多く手がけ、60年代、70年代には繊維産業の盛んな釜山にも支店を置いていたくらいだ。それが中国が台頭してきて競争力を失い、繊維部門の取引規模は減少した。

 過去には繊維のほか、食糧、水産関連の取り扱いも少なくなかったが、現在は基礎化学品が中心だ。YNCC(ハンファと大林の合弁会社)など韓国の石油化学メーカーからオレフィンを購入して主に中国に輸出し、中国の取引先は、我々が供給する原料を使ってビニール包装紙、ABS樹脂などを加工生産している。化学品部門が韓国丸紅の事業の半分以上を占め、専用の輸出船も持っており、少なくともオレフィン分野では商社の中で当社が一番強いと自負している。

 ――韓国で力を注いでいる事業は。

 基礎化学品事業に加えて、韓国の製紙メーカーにパルプを長期にわたり納入している。当社はカナダにDMIというパルプ工場があり、そこから安定的に供給している。韓国にはパルプメーカーが東海パルプ1社しかなく、その東海パルプも法定管理(会社更生法)に入って、現在売却にだされている状況で、パルプは供給不足となっており、韓国でのパルプの需要は大きい。

 このほか、銅の地金、製鉄会社向け原料のホットブリケットアイアン、ステンレス用フェロクローム、石炭なども扱っている。韓国の企業は中間業者を通さないで直接取引をやる傾向があるが、われわれは、海外の資源開発会社に出資したり、販売権を持っているので、その強みを生かして韓国企業への供給に力を注いでいる。

 ――日本の商社は世界中にネットワークを築き、多彩なビジネスを展開しているが、商社の役割をどう考えるか。

 むかしは、日本のメーカーが韓国に出て行くことがなかったので、商社がモノを売ったり、仲介したりして先端技術を韓国に紹介した。韓国が先進国になる過程で、それなりにわれわれは貢献できたと思う。

 いまは、企業と企業の間に立って仲介手数料をいただくというビジネスは少なくなり、商社の役割というものが以前と比べすっかり変わった。韓国の商社も同じだが、いまは自分で事業を立ち上げ、資源開発などを行い、川下(販売)も自分たちで展開するようになった。

 ――韓国で手がけた製造事業は。

 70年代に丸紅がチッソエンジニアリングと技術供与および出資をして蔚山に大韓油化という化学メーカーを設立したことがある。その後、大韓油化がナフサ分解事業に進出したものの、政府方針の下、過大なる同業他社の参入により経営が悪化し、法定管理を申請したときに、同社の早期立て直しのために丸紅の持ち分を無償で提供した結果、同社が計画を前倒しして実現し、前線復帰となった。

 現在、丸紅が直接やっている事業としては、子会社を通じ韓国企業パートナーと共におこなっている慶尚北道および江原道での風力発電がある。環境問題に取り組み出した韓国政府の方針に沿ってスタートした事業で、それぞれ1・65メガ㍗24基、2メガ㍗49基を稼働している。この事業は、発電のみならず、温室効果ガスを削減する排出権も確保することができ、今後は、こういった環境事業も有望だとみている。発電関係では、コジェネ事業も手がけている。

 また、ほかの商社がやっていない事業として、独自のアパレル事業を展開している。たまたま債権担保で商標権を抑えたもので、最初はどこかに売るつもりだったが、韓国人スタッフの熱意とその事業性を考慮し開始した。スーツを中心とした30代男性むけアパレルで「EZIO(イージーオー)」というブランドである。現在は、韓国で縫製し、ソウル、釜山、大田などに12店舗を展開している。将来は中国で生産し、この事業を更に広げてゆきたいと思っている。丸紅の繊維の歴史の中では初めての試みなので、歴史に残る事業になるかもしれない。

 ――韓国で成功する秘訣は。

 まず、日韓は、互いに重要なパートナーであると認識すること。われわれは、いろいろな機械を扱っているが、韓国にない日本の製品を持っていく。例えば電子材料フィルム面への溶剤コーティングの機械だとか、半導体の基板を検査する画像検査装置だとか、そういう機械を供給することによって韓国メーカーは製品をつくれる。

 彼らががんばれば、われわれの商売も増え、一緒に協力することによって双方が発展していく。こういう補完関係が日韓の間にはできている。韓国は素材、部品、設備を日本から輸入して、それを使って付加価値の高い製品を生産し海外に輸出する。機械の市場は韓国だが、そこから生まれる製品の市場は世界各国なわけで、日韓が連携して世界に貢献しているといえるだろう。

 またFTA先進国としての優位性を活かしたビジネスや、海外展開の速度を速めている韓国財閥グループ等との共同事業に多くのビジネスチャンスがあるとみている。

 ――今後の韓日友好促進には何が必要か。

 日本人と韓国人は、すぐに相手に勝ったとか、こっちが強いとか、比較をしたがる。これはあまりいいことではない。むしろ、相手の良いところを互いに学ぶべきで、それには相手のことをよく知ることが大事だ。

 日本大使館、ソウルジャパンクラブが中心になって国交正常化40周年の2005年にソウルで日韓交流おまつりが行われ、2006年も継続して行われ好評であった。今年も10月の20・21日にソウル支庁前広場などで行われた。こういうイベントをどしどしやり、それらを通じて、日韓が一体感を強めていくことも大事ではないだろうか。