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2002/11/08

<随筆>◇新義州に注目を◇ 産経新聞 黒田勝弘ソウル支局長 

 北朝鮮が新たに西北端の都市・新義州を経済特区に指定した。体外的な開放都市にするという。新義州は鴨緑江の河口にあって、対岸は中国の丹東になっている。丹東は旧満州時代は安東といっていた。しばらく前、丹東には韓国から直行の船便ができたというニュースがあったので、一度、行ってみたいと思っていた。しかし新義州が開放都市になるというのだから、丹東よりこちらの方を先にするか。開放都市・新義州が楽しみである。

 ぼくとしては東北端の豆満江の河口には先年、ロシア経由で中国サイドから目撃しているので、もう一方の鴨緑江の河口を一度、ぜひ見ておきたいというわけだ。

 朝鮮半島は地理的にたいそう面白い。中国との境界線の真ん中に2700㍍級の白頭山があって、その山裾を源流に2つの大きな川が東西に流れ海にそそいでいる。鴨緑江という名前もいい。

 新義州といえば、ベルリン五輪のマラソンで金メダルに輝いた孫基禎先生の故郷がたしかここだった。自伝には少年時代の新義州での話も出ていた。日本人でいえば先年なくなられた作家の古山高麗雄先生が日本統治時代の新義州の中学出身だったことを思い出す。彼がペンネームに「高麗」を使っていたのは、そうしたコリアとの因縁からだろう。

 話はずれる。李朝(朝鮮王朝)の創建者である李成桂は、全州李氏の出身だが一族が咸鏡道在住だった。彼は咸鏡道駐屯の武人として知られた。高麗朝末期にクーデターで政権を握り李朝を開いたのだが、そのクーデターは「威化島回軍」という故事で知られる。つまり李成桂は満州の遼陽への出動命令を受け(1388年)、部隊を率いて「威化島」という場所にきたところで部隊の向きを変え、首都・開城に攻め入り政権を取ったというのがその故事である。

 したがって「威化島回軍」という言葉、国内の政治状況にからんでもよく引用されるのだが、この「威化島」というのがどこかについてぼくは漠然と、咸鏡北道の中朝国境地帯ぐらいに思っていた。ところが実際はそのあたりではなく、実は「威化島」は西海岸の鴨緑江の河口にある島ということを知った。新義州が経済特区になるというので、その付近の地図がマスコミなどで紹介されたのを見て分かったのだ。なるほどそうか。李成桂は新義州でクーデターを決意し、そこから部隊を率いて都に攻めのぼり新時代を開いたのだった。

 そこでぼくは今、新義州の経済特区構想が北朝鮮の経済にとって「開放クーデター」になるかどうか大いに注目している。その成功は李成桂が首都・開城に攻めのぼったように、平壌を動かしてこそ可能になろう。

 「威化島」の歴史的故事を知るにおよんでますます新義州が面白くなった。ここしばらく新義州に注目しようと思っている。
                   (本紙2002年10月4日号掲載)


  くろだ・かつひろ 1941年大阪生まれ。京都大学経済学部卒。共同通信記者を経て、現在、産経新聞ソウル支局長。