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2002/09/06

<随筆>◇奔放不羈な画家 崔北と張承業◇ 崔 碩義 氏

 今日は朝鮮王朝末期に奔放不羈に生きた画家の崔北と張承業のことについて紹介することにしたい。

 まず崔北(1712~86年)について述べよう。古今東西の画家のなかには奇行で知られる者も少なくないが、崔北のような極端な画家も珍しい。ある人は彼を酒客だといい、ある人は画師だといい、またある人は狂生だと呼んだという。彼は筆(毫)で生活しているといって「毫生館」と称し、また、自分の名前の北という字を左右に分解して「七七」と号した。

 崔北の逸話で一番有名なのは、金剛山で酒に酔っぱらい「天下の名士崔北は、天下の名称で死ぬのがふさわしい」と叫び、九龍瀑布の滝壷に飛び込み、自殺未遂に終わったという話であろう。彼は一日に5、6升の酒を飲み、1カ所に落ち着かず旅をする日が多かった。彼が来たと聞けば金持ち連中や文人たちがわんさと集まって、彼の絵を買った。ところが、崔北は自分の絵に、安い値段をつけようものなら腹を立てその絵を破り捨てたりした。

 彼は自由奔放で野趣にみちた絵を描き、他人の批評、思惑には一切関心を示さなかった。崔北の最後は、ある吹雪の日、酒に酔っぱらって道で寝込んで、そのまま凍死したと伝えられる。

 張承業(1843~97年)もまた、崔北におとらない魅力に富んだ画家である。彼の場合は、安堅、金弘道と並ぶ李朝時代を代表する3大画家に数えられる実力派だ。

 彼は地方の貧困な家に生まれ、幼いときに孤児となった。やむなくソウルの画業にたずさわる李応憲という人の家で使い走りをしながら、文字を覚え、やがて画道に目覚めたと伝えられる。一生、酒と女性を好み、何ものにも束縛されるのを嫌った。絵を描いて得た金をすべて酒家に預けて、酒に明け暮れ「美人が横で酒を注いでくれないと良い絵画が描けない」と言い放ったエピソードは有名。

 40歳のごろ、友人に進められて一度は結婚式を挙げたが、なぜか結婚生活はながく続かず、その後は生涯独身を通した。

 張承業は、独特な筆墨法を駆使して山水、人物、鳥や蝶などの名品を後世に残した。私は一昨年、ソウル大学博物館で開催された「吾園・張承業特別展」を見る機会を得た。一堂に集められた作品はいずれも力作揃いで、中でも「紅白梅図十曲屏風」という絵は巨匠の名に恥じない豪華絢爛な大作で、私はしばらくその絵の前に立ち尽くした。力強い2本の梅の大木と点描された紅白の花の美しさが今でも目に浮かぶようだ。どことなく横山大観の絵と似ているように感じられた。

 韓国では「酔画仙」(林権沢監督作品)という映画がこのごろ封切られて大変な評判になっていると聞いている。この「酔画仙」の主人公が張承業でる。
                  (本紙2002年7月12日号掲載)


  チェ・ソギ  フリーライター。慶尚南道出身。立命館大学文学部卒。朝鮮近代文学専攻。