少し前の話で恐縮ですが、3月9日にJリーグの好カード、鹿島アントラーズ・清水エスパルス戦を観戦した。ワールドカップ会場にもなる鹿島スタジアムは、客席を増し大きくなり芝も青々と立派であった。試合は0-0が続き延長後半の残り1分、バロンのヘデイングでエスパルスのあっという間のVゴール勝利であった。ホームスタジアムの圧倒的な応援にもかかわらずアントラーズは開幕戦に続き2連敗となった。
98年パリ大会に初めてのワールドカップ出場をかけた日韓第2戦をソウルで観たことがある。97年1月1日、チャムシルのオリンピックスタジアムは土曜日とあって応援席は膨れ上がっていた。韓国は既に出場を決めていて余裕の応援、それに対して日本は一戦負けたら出場できなくなるという瀬戸際だった。
結果は日本が2対0で勝ち、何とか出場への望みをつないだ。日本からの応援団は確か4000人と覚えているが、その青色の応援団も韓国応援団・レッドデビルに取り囲まれ埋没しそうであった。応援同士のいざこざがあってはならないと左右1ブロックを空席とし、警官がグランドにぐるりと並び応援団に向かって立ちはだかる恰好で配置されていた。
試合が終わり家内と地下鉄で帰宅したのだが、我々が日本人と分かると、「今日は勝ってよかったですね、ぜひ一緒にパリに行きましょう」と話しかける人もいた。その途端、それまでの緊張は一気に吹っ飛び、勝利の喜びもさることながら、一緒に行きましょうと言ってくれる若者たちに心が浮き立った。
月曜に出勤すると皆がおめでとう、勝ってよかったですね、中田はさすがにうまい、などと声をかけてくれた。こちらは韓国チームの選手をだれ一人知らないお粗末さ、ありがとうとはいうものの、穴があったら入りたい気分になった。
あのときのスピード溢れる試合に比べ今回の試合の遅さが目についた。日本代表、韓国代表と違いJリーグ同士だから仕方がないといえばそれまでだが、あれから5年もたっているし、アントラーズもエスパルスもリーグのトップクラスということを考えれば、当時の日本代表以上の力を持っていても不思議はない。
残り1分になってエスパルスのキーパーからのロングキック、それに対しアントラーズは魔法にかかったように動けなかった。日韓戦のとき相手キーパーがキックする度に「もどれー、もどれー」と大声を張り上げていた隣の女性を思い出した。そうだ、戻れ戻れ、全力で戻れ、戻って守れ。しかし選手はみな棒立ちに見えた。その一瞬の魔の時間、エスパルスは鹿島ゴールに殺到した。
アントラーズの応援席はさっきまでの大歓声が消え、まるで水を打ったように静まり返った。選手たちはみなうなだれ、応援席に挨拶もせずに消えた。
(本紙2002年4月19日号掲載)
たけむら・かずひこ 1938年東京生まれ。94年3月からソウル駐在、コーロン油化副社長などを務め、98年4月帰国。日本石油洗剤取締役、タイタン石油化学(マレーシア)技術顧問を歴任。