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2003/12/12

<随筆>◇年賀状の因縁話◇ 崔 碩義 氏

 さて、年賀状のことだが、あれは虚礼の最たるものだと考える向きもあるが、私はそうは思わない。何といっても旧友からの消息に接することが楽しい。頂いた年賀状の中には、干支を図案化したものから、新年の所感、近況をこまごまと印刷して寄越す方まであって多彩。差し出した人の個性と誠意が感じられて嬉しい。

 今年、風流な老友の一人は、中国の漢詩にことよせて「年年歳歳、花は同じように咲いても人は常に変わる。若いときこれぞと思う美人に出会ったら直ちに手に入れよ、遅れて空しく花の枝を折ることなかれ」という意味のことを、墨跡鮮やかに書いてよこした。

 私の方から出した年賀状にも触れておこう。生来、悪筆なうえ不器用ときているから、毎年の年賀状作りにはそれなりの苦労を強いられている。決まったように芋判ならぬゴム判に文字を彫ったものを押していたが、最近は活版印刷に格上げした。参考のため、ここ十年間に使った文言を羅列する。春棋、歳拝、頌春、春風、寿正、慶雲飛翔、万象迎新、松寿、一陽来復、福景など。

 ここで、私と年賀状にまつわる因縁話を一つ披露しよう。いまから数十年まえ、某民族新聞社で働き蜂をしていた頃の話である。あるとき、私は社長に軽い気持ちで「民族色豊かな年賀状を作って売り出してみてはどうか」と提案した。社長はすぐさま、この企画に同意して「では、やってみろ」と許可した。

 これが、ふたをあけてみると凄く売れて、追加注文が殺到し増刷、増刷で、私は大いに面目をほどこした。数年後の最も売れたときには驚くことなかれ、数百万枚にも達した。ところが、私は本来の仕事以外に、この部門の責任者まで押し付けられ困惑した。こうして毎年、アイデアや図案の段階から、年末になると印刷、販売、発送の仕事までが重なり目も当てられない忙しさに見舞われた。私は馬車馬のように働くしかなかった。

 もうこうなると大変な仕事量で、この年賀状のヒットが某民族新聞社に莫大な利益をもたらしたのである。

 そのうちに、とてもじゃないが片手間でやれる仕事でないので悲鳴をあげて、「いい加減にこの仕事から解放してもらいたい」と再三、社長に要求した。しかし、そのたびに「余人に代え難い」という殺し文句で慰留される始末。

 その頃のことだが、こうした年賀状の図案に到るまで、一々、総連中央の「批准」(実際は検閲)を受けることが義務づけられていた。この批准なるものが曲者で、何も知らない素人の宣伝曲の連中がケチを付け干渉するので私はすっかり、やる意欲を失った。

 私はそのうちに、社内の人事異動で別の部署に移ったので、やれやれ、これで「お役ご免」と思いきや、またまた「余人に代え難い」という理由で、ついに兼任が解けることがなかった。こうして私は年賀状作りと格闘すること、十数年に及んだのである。


  チェ・ソギ  フリーライター。立命館大学文学部卒。朝鮮近代文学史専攻。慶尚南道出身。近著に『金笠詩選』(平凡社・東洋文庫)がある。