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2003/10/31

<随筆>◇日光の思い出◇ 崔 碩義 氏

 春の花の季節もよいが、秋の紅葉の季節もよいものである。秋の夜長に親しい友と一献酌みながら語るもよし、とくに若い人には心いくばかり読書の時間をもつことを勧めたい。

 今日は日光の思い出について語ろう。私が初めて奥日光を訪れたのは、関西から東京に移り住んだ直後で、馬返しからケーブルカーを利用したことから考えても、かれこれ40年以上も昔になる。標高1270㍍もの高さに位置する中禅寺湖の景観に、私はたちまち心奪われた。

 あの時は親友のU君と一緒だったが、さらに奥の湯元温泉まで足を伸ばした。次の日、私たち2人は刈込湖から光徳沼まで、錦繍を敷きつめたようなドウタンツツジ、ナナカマドの色彩の美しかったことが未だに印象に残っている。U君と湯元の南間ホテルに泊まったとき、そこの老女中から次のような話を聞いた。

 「皇太子さま(今の天皇)が敗戦の年から戦後にかけてこのホテルに疎開していましたよ。侍従たちは戦争が終わってから毎日、アメリカのMPが皇太子さまを捕まえに来ることに脅えていました。万世一系の天皇家の血筋が絶えたら困りますからね。そんなわけで、侍従たちはいざという時には、山王峠から奥の、むかし平家の落人が住んだという川俣方面に落ち延びる準備をしていたものですよ」

 怪談めいて聞こえるかもしれないが、これはれっきとして事実だ。

 私は奥日光以上のすばらしい自然に出会ったことはない。ここの自然は、四季の変化に富み、おそらく日本でも第一級の山水風光だろう。私は、奥日光がとても気に入って、それから数え切れないぐらい訪れている。もっぱら一人の女性の美しさに魅せられて、通い詰めるが如くに。

 だから、韓国から貴重な友人が来たときに最高の接待として、私は奥日光に案内する。客人と一緒に戦場ヶ原から湯滝まで散策し、湯元で野天風呂を満喫すると、彼らは決まったように「日本の自然はじつにすばらしい!」と感嘆する。余り知られていないが、ニムの詩人で有名な韓龍雲も1908年に奥日光で遊び、感動して次のような詩を残している。

 神侘山中湖水開 山光水色共徘徊
 十数小舟一両笛 夕陽唱倒漁歌来

 また、金素雲が若い頃、各地を無銭旅行したことはよく知られている。そのとき奥日光の伊藤旅館の女主人に大変世話になったのに、結果的に迷惑をかけてしまったことを深く愧じて、このことを「逆旅記」に記している。

 もう一つ、家族そろって千手カ浜でキャンプをした楽しい思い出も忘れ難い。あのときは、昼間は近くの原生林に囲まれた幽すい境のような西湖を訪れたり、夜は湖畔でキャンプファイヤーを楽しんだ。

 帰りは遊覧船に乗らず、湖岸を菖蒲ガ浜まで歩き、ミズナラ林を抜けて小田代カ原に出て、そこで紅紫色のノアザミの珍しい大群落を初めて目にした。


  チェ・ソギ  フリーライター。立命館大学文学部卒。朝鮮近代文学史専攻。慶尚南道出身。近著に『金笠詩選』(平凡社・東洋文庫)がある。