ここから本文です

2003/10/17

<随筆>◇マニラで感じたこと◇ 韓国ヤクルト 田口亮一共同代表副社長代行

 フィリピンのマニラで開かれたアジア太平洋代表者会議出席のため、24年ぶりにマニラを訪問しました。私は漢江の奇跡と云われた経済発展と都市の変貌を眼のあたりに見て来ましたので、1970年当時はASEANのリーダーでもあったフィリピンの発展はいかばかりかと、かなり期待して空港に降り立ち、ダイヤモンドホテルに行く途中キョロキョロと車の中から周囲を見回したのですが、古い建物ばかりが残っており、マニラ湾も心なしか暗く沈んでおりました。

 相も変らず「ジムニー」と呼ばれるトラック改造乗り合いバスと人力車が交通の主要手段で、タクシーも非常に少ないようでした。首都マニラでも舗装されてない道路が多く交通秩序などというものはハナから存在しません。ソウルの交通渋滞が整然としたものとして懐かしくなった程ですから推して知るべきでしょう。後日通ったマカティ通りは首都マニラの対面を保っている唯一の地区ですが、ここにしても車で10分も外れれば貧民街に続きます。第一マニラには高速道路はおろか高架道路すらありません。

 私は決してフィリピンの悪口を書こうと思っている訳ではありません。しかし同じ25年間で停滞したと云うよりむしろ後退してしまったかってのアジアのリーダー国と、今の韓国の発展との歴然としたギャップに驚き呆れているのです。ホテルで一人の時間に窓からマニラ湾を見ながら、「ナンデカナッ?」と考えてみました。私はあえて私なりにこう結論付けました。これは為政者の問題であると。

 フィリピンでは長い間マルコス大統領夫妻が我が世の春を謳歌し、一番重要な時期に国家20年30年の計をないがしろにして来たのです。約25年の間韓国でも何人かの大統領が選ばれ、任期満了の時はほとんどが蓄財疑惑などの汚名のもとムチもて追われていますが、国家発展の計画は着々と実行して来たのです。それが今、現在厳然たる国家レベルの差となって出て来ているのです。

 ずっとホテルで缶詰状態の会議でしたので、地元の人々との接触も少なくあまりお話も出来なかったのですが、その数少ない触れ合いで感じたのは最近ソウルでは失われつつあるちょっとした素朴な親切、澄みきった眼、すがすがしい笑いに何度か巡り合ったことでした。

 ホテルの従業員のさり気ない親切をチップ目当てと思い、後で自分の醜さに赤面したものでした。そして出国の際、手続き他全部やってくれて、ちゃんと見届けてくれてニッコリ笑ったかわいい空港案内嬢。

 心のこもらない表面的・儀礼的な親切はどこか近くの国の人と似て非常に上達したのですが、ホンモノの優しさを持っていた韓国の人と生活が経済発展、文化生活の向上、豪華生活環境などのもとすれ違いになって行くような気がしてちょっと寂しくなった事も事実です。小さな優しさを求めて当分マニラにはまります。


  たぐち・りょういち  1943年満州国生まれ。東京都立大学人文科学部卒。69年ヤクルト入社、71年韓国ヤクルト出向。94年から同社共同代表副社長代行。