韓国にきたてのころ、知り合いの韓国人に「ヤア!」といって呼びかけて叱られたことがある、気軽な、親しみの感じで言ったつもりだったが、韓国の「ヤア!」は相当に目下の者にいう言葉で「オイ、お前!」といったニュアンスと分かった。
この経験もあってその後、ぼくにとっては「ヤア!」は禁句になっているのだが、韓国で最近、街角やテレビドラマなどでやたら「ヤア!」を耳にするように思う。特に若い女性に「ヤア!」が増えた。相手が男でも「ヤア!」といっている。これは韓国の若い女性の鼻っ柱がそれほど強くなったことを物語っている。
ぼくはソウルの学生街に住んでいるので、毎日、学生の群れとすれちがっているが、あちこちで男性ではなく女性の「ヤア!」がとびかっている。そして「ヤア!」のみならず耳に入るのはほとんど女性の声だ。つまりいつも大きな声を張り上げているのは男子学生より女子学生の方なのだ。
しかしこの女性の「ヤア!」は見苦しい、いや聞き苦しい。「女性が元気があっていいではないか」という地元韓国人もいるが、韓国人あるいは韓国語にある種の「理想」ないし「原型」を期待するぼくら外国人にはどうも気に障る。
男女平等、女権拡大などで「男なにするものぞ!」という韓国式民主化が背景にあるようだが、ぼくの見立てではテレビがよくない。とくにドラマで若い女性に丁寧語ではなく、はすっぱな「パンマル」を多用させているのがかなり影響していると思う。丁寧語の語尾の「ヨ」を抜いて、イッソ、オプソ、へ、ヘッソ、ワ、ワッソ、カ、カッソ、モゴ、モゴッソ など限りなく「ヨ」抜きなのだ。
放送作家たちはそれが現代風でカッコイイと思っているのかもしれないが、ぼくには聞き苦しいことこのうえない。あのパンマル連発でドラマのなかの美女たちがとたんに醜く見える。「ヨ」をつけるだけで美しく見えるのに。あれは韓国語の破壊ではないのか。テレビよ、韓国女性よ、どうか美しい韓国語を守ってくださいませ。
ところで在日出身の韓国人の知り合いがいて、ある韓国女性と結婚話が起きている。双方ともバツイチでお互い気に入っているのだが、在日系の知人がいうには、彼女が自分のことを「ナ」というのがどうもひっかかる、なぜ「チョ」といわないのかというのだ。
周知のように「ナ」は相手が対等あるいは目下の場合に使う。女性は普通、男性相手にはへり下って「チョ」というのが伝統的な礼儀だ。ところが彼女はいくら注意しても「ナ」が直らないため、結婚話はストップしているというのだ。
彼女は必ずしも若くないのだが、どうやらかなり若ぶりのようだ。「可愛くていいじゃないか」といっても知人は不満だ。在日系の、外国人化しつつあるがゆえの祖国の伝統文化に対する「こだわり」だろうか。
くろだ・かつひろ 1941年大阪生まれ。京都大学経済学部卒。共同通信記者を経て、現在、産経新聞ソウル支局長。