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2003/09/05

<随筆>◇姉妹都市・西帰浦◇ 武村 一光 氏

 ここ茨城の鹿嶋市が済州島西帰浦市と姉妹都市になる。2002ワールドカップ開催地同士の仲間意識が縁となった。来年の本格調印を前に6月6日に仮調印が交わされた。

 かねてから姉妹都市になるなら、相手は蔚山市に違いないと勝手に思っていたが見事に外れてしまった。どう考えても西帰浦が相手になりそうもなかったが、西帰浦の立場に立つと相手が鹿嶋という姿が見えてくる。それは両市の人口が極めて似ているということだ。

 西帰浦8万5千人、鹿嶋6万3千人、ワールドカップ開催の市としては著しく人口が少ない。韓国の他の開催地はソウルの1千万人は別格としても一番少ない全州市ですら62万人である。日本は市、県が主催だったが、市の主催だと横浜の433万人を筆頭に百万人以上だ。

 そんな訳で西帰浦の方から話が来たのではないかと推量したのだが、もしそれが本当なら鹿嶋は大変な光栄に浴したことになる。私が駐在の頃、韓国で一番人気の街は西帰浦だった。一時は果川市が一番だったが、その果川を抜いて西帰浦が一位に躍り出たのだ。今にして思うとワールドカップの開催の噂話が人気を一気に押し上げたのかもしれない。 

 果川の人気は北に冠岳山があり、湧き水が豊富に出て空気がきれい、工場が少なく教育程度が高いなどに支えられていた。山ひとつ隔てるだけでソウルの喧騒はなく、車の排気汚染もなかった。私が果川に住んでいると知って、空気がきれいで羨ましいとよく言われた。ソウルから帰ってくると本当に空気がひんやりとおいしかった。西帰浦も北に韓国で一番高い漢拏山が聳え、南に海が開け、一年中温暖、空気のよいのは言わずもがなである。

 一昨年の10月、日帰りで西帰浦に寄ったとき、道路はまだあちこち工事中だったが、今は素晴らしい街になっていよう。西帰浦に大リゾート地があり、新羅ホテルやロッテホテルなど有名ホテルが軒を連ねている。ゴルバチョフ大統領・金泳三大統領の会談が新羅ホテルで行われ、西帰浦は一躍世界に有名になった。しかし、一歩リゾート地を離れると大いなる田舎である。

 私事で恐縮だが、会社を卒業した4年前、梅雨の真っ最中に西帰浦の安宿で2週間過ごしたことがある。宿のおかみが何をしに来たかと不審気だった。仕事、それとも観光と訊くのに、そのどちらでもないの、ただ毎日一人でいるとどうなるのか自分を知りたくてねと、少しきざに答えた。「結構なご身分ね、羨ましいわ」と少し呆れ顔になった。

 晴れれば海を眺め、市場を歩き回り、降られたら本を読み、雑文を書いた。2週間はあっという間に過ぎ、一人でも退屈だけはしないと確かめた気になった。だから西帰浦は第2の人生の出発地なのだ。今鹿嶋はワールドカップ後の第2の街づくりを模索中、私もそのメンバーの一人だ。これからは冬季合宿地として一大発展を図るという西帰浦、もう一度素晴らしくなった西帰浦をこの目で見なくてはならない。忙しくなってきた。


  たけむら・かずひこ 1938年東京生まれ。94年3月からソウル駐在、コーロン油化副社長などを歴任。98年4月帰国。日本石油洗剤取締役、タイタン石油化学(マレーシア)技術顧問を歴任。