暑い夏を乗り切るにはスタミナ食が不可欠にて、日本では「土用丑の日」にウナギを食べて精をつけるが、当地では似たような日が「初伏」「中伏」「末伏」と3回もある。この日には若鶏の腹にもち米、高麗人蔘、にんにくなどを詰めて煮込んだ栄養豊富な「蔘鶏湯」、もしくはかの有名なお犬様料理である「補身湯」を食べるのがならわしである。ところが小生はどちらも苦手で、もっぱら韓国式ウナギの蒲焼でごまかしている。
当地のウナギは日本と少し趣が違う。もちろん同じ魚体なのだが料理法が豪快なのだ。割いたばかりで血が滲んでいる大ぶりのウナギ一匹丸ごとを、客の目の前の炭火の上に並べる。まだ尻尾のあたりがピクピクしていたのが、たちまち熱い炎の上で悶えながら成仏する。必殺料理人のアガシ(若い女性)は、焦げ過ぎないように何回も裏返しながら、客の好みに応じて、醤油味、塩味、コチュジャン味に仕上げていく。
コチュジャン味は韓国にしかないと思うが、ピリッとした辛味が脂っこいウナギによく合う。焼けるのを待つ間に客はまずウナギのキモ焼酎で乾杯、ウナギの骨の粉末入りスープをすすり、ウナギの骨をつまみに冷たい焼酎を煽る。ウナギづくしである。
その内にこんがり焼けたウナギの蒲焼の出来上がり。アガシが一口サイズに切ってくれたものをそのまま食べるもよし、ゴマの葉っぱに生ニンニクなどと一緒に包んで食べるもよし。少食の日本人でも一人2匹は軽くいける。しかも安い。スタミナ一杯のウナギの中でも、特に尻尾の部分に精が詰まっているらしく、当地のお客は何故かソウルチョンガーの小生に尻尾を勧める。これ以上、精をつけてどうしろと言うのか?このまま家に帰れないではないか。
ところで、先日、偶々「中伏」の日に日本からの来客と一緒に韓国の取引先を訪問したが、取引先の部長さんが、「今日は中伏だから昼食に蔘鶏湯をご馳走しましょう」ときた。蔘鶏湯についての部長さんの講釈に、鶏好きの来客は早くも舌なめずりしている。とても「私は鶏が苦手」と言える雰囲気ではなく、一緒に近くのレストランに向かった。ここは蔘鶏湯専門店で他の料理は一切ない。
運の悪いことに私の隣に部長さんが座った。ごまかしができそうにない。その内に湯気を立てた蔘鶏湯がドーンと出てきた。鉄鍋の中には首のない裸の鶏が横たわっている。絶体絶命である。皆、一斉に箸を取る。
覚悟を決めた私はまず腹の中のもち米に箸をつける。高麗人蔘を頬張る。できるだけゆったりした動作で時間を稼ぐことにした。でも、腹の中の詰め物はすぐに無くなった。やむなく肉の部分に箸をつける。小片を口に運ぶ。味は悪くない。
実は私の鶏嫌いは幼児体験によるもので、味そのものが嫌いではない。精神的なものなのだ。でも体が受け付けない。私のゆっくりした動作を訝るように隣の部長さんが心なしか意地悪い口調で言った。「マシイッスムニカ?(美味しいですか?)」
おおにし・けんいち 福井県生まれ。83-87年日商岩井釜山出張所長、94年韓国日商岩井代表理事、2000年7月から新・韓国日商岩井理事。