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2003/04/25

<随筆>◇コンジュ病◇ 産経新聞 黒田勝弘ソウル支局長

  「お姫様」のことを韓国語では「公主(コンジュ)」という。したがって「白雪姫」は「ペクソル・コンジュ」となる。韓国では近年、街に「コンジュ」が増えて困っている。いや、韓国が困っているというより、ぼくが困っているといった方が正解かもしれない。

 どういうことかというと、先日、金をおろしに銀行に行ったおり、入り口でガラスドアをはさんで、出てくるアガシ(若い女性)と入ろうとするぼくが鉢合わせするかたちになった。結果的にぼくが先にドアを引いて開けたところ、くだんのアガシはぼくがドアを引いているのも知らん顔で、そのまま先にスイと出ていってしまったのだ。

 感謝の言葉はもちろん、会釈も笑顔も何もない。ドアを引いて待っているぼくなどまったく眼中にない風で、目も合わせずそのまま歩き去ってしまった。しゃれっとして小ぎれいな美形だったが、あれはいったい何なんだろう。

 こんなこともあった。勤め先の事務所の向かいのトンカツ屋で昼飯を食べた際、2階にある店の階段を上がりかけたところ、上から3人連れの若い女性が下りてきた。2人が辛うじてすれ違えるかどうかの狭い階段なので、2、3段上りかけていたぼくがいったん下に下がって彼女らを通してあげた。ところがこれまた、3人の誰一人として何らのあいさつもなく去っていったのである。

 このほか路上でのすれ違いやビルの廊下、エレベーターなどでもまったく同じ現象にでくわす。韓国では路上で人によくぶつかるが、まずあいさつしない。とくに若い女性がそうだ。ぶつかって出てくる言葉は「オモナ!(あらま!)」程度だ。

 他人、つまり知らない相手は眼中にないのが儒教的礼儀(?)とは言うももの、知らないもの同士が大量にひしめきあっている現代の都市社会でこれは困る。

 こうした不満を韓国人に聞いてもらったところ「それはコンジュビョンですよ」ということだった。「コンジュビョン」とは「公主病」であり、言い換えると「お姫様病」であり、場合によっては「シンデレラ症候群」ということになろうか。

 つまりお姫様のように、自分はいつもかしずかれる存在であって、自分の方から相手に気を使い配慮することはないし、自分はいつも他人から見つめられる存在であって、自分が他人を見るということはしない-という心理のことである。

 韓国の若い女性に近年、「コンジュビョン」が蔓延しているのはなぜだろう。これも1980年代後半以降のいわゆる民主化の産物ではないだろうか。男女平等、男や年長者何するものぞ…。最近の権力における世代交代や序列無視、そして制度破壊、労働運動など、韓国では昔、儒教がゴリゴリになったように民主化も極端に流れやすいかな。
                  (本紙2003年4月4日号掲載)


  くろだ・かつひろ  1941年大阪生まれ。京都大学経済学部卒。共同通信記者を経て、現在、産経新聞ソウル支局長。