京畿道高陽市のバスに乗ってフィリピン参戦記念碑前で下車。大慈山にある崔瑩将軍の墓を探すのに苦労したが、久しぶりに山道をハイキングする気分を満喫。なつかしいといえば、山の麓で地元の人と思うが野糞を垂れている原風景も目にした。断っておくが、私は崔瑩将軍と同姓という理由からその墓を訪ねて来たわけではない。いわば、高麗王朝から朝鮮王朝への歴史的転換期における悲劇的人物としての関心からである。
崔瑩将軍の墓は思ったよりも立派であった。ぐるっと土壁で囲まれ、こじんまりとして長方形の墓所は、望柱石と文人石が左右に配置されて、風格のようなものが感じられた。崔瑩将軍(1316~88年)は、高麗末期の忠臣。倭寇と紅巾賊を鎮圧するのに活躍し、八道都統使(総司令官)、門下侍中(首相)という要職を歴任した人物である。しかし、その最後は、李成桂の最大の政敵として威化島回軍(クー・デター)によって殺害された。高麗の都の開城の人たちは、崔瑩将軍が李成桂によって殺されたという消息を聞くや、一斉に家の門を閉じ、老いも若きも涙を流してその死を哀悼したと伝えられる。
ところで、非業の死を遂げた崔瑩将軍の怨念の深さに同情し、あるいはその祟りを恐れて、後世の人たちは、いつしか崔瑩将軍を土俗神として祭り、信仰するようになった。とくに巫堂たちは祭神の怒りを慰留するために、李成桂を呪詛するセレモニーを盛んに行ったという。
地理学者李重煥の『択里志』松都編に次のような記述がある。
「開城の近くの徳物山にある崔瑩祠堂では、民間の一処女を選んで堂内で交神させていた。その少女が老けるか、病気にかかると他の少女と代える。女の話によると、夜ごと崔瑩将軍の神霊が現れてセックスするが、将軍の高麗亡国の嘆きはあまりにもすさまじく、すべてを忘れるために、ひたすら男女の道の淫行に耽った」とある。
なんとも奇怪な話であるが、こうした崔瑩祠堂は今でも各地に存在する。
一旦、元堂駅前まで戻って「アグタン定食」を食べる。この食堂はアグタンを専門にしている店のようで、グロテスクな鮟鱇の絵と、栄養満点云々という宣伝文句が貼ってあった。食べ終えて店の外に出たときである。何とも奇妙な物売りの声が聞こえた。
「サグリョ?サグリョ(買いなされ?)犬いらんかね、エー犬買うよ、犬高く買うよ・・・・・・・・エー犬いらんかね」
私は最初、何を言っているのか理解ができなかったが、やっとそれが犬を売ったり、買ったりする商人の口上であることが分かった。私は生来の好奇心から、犬商人のリヤカーの荷台に駆け寄って檻の中を覗き込んだ。いくら鈍感な私でも「こ奴は補身タン(犬のスープ)の材料を売っているのだな!」ということを見抜いた。この国に生まれてきた犬たちの運命も、また、哀れというべきだろう。
(本紙 2003年2月28日号掲載)
チェ・ソギ フリーライター。慶尚南道出身。立命館大学文学部卒。朝鮮近代文学専攻。