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2003/02/28

<随筆>◇小さな幸せ◇ 韓国日商岩井 大西 憲一理事

 久しぶりに立ち寄ったカラオケの美人ママが真面目な顔で聞いてきた。「オッパー、戦争起きるんじゃないの?最近、何だか無性に怖いの」。普段は陽気な彼女の真剣な言葉に、思わず飲みかけのグラスを落としかけた。「ダイジョーブ。そんな心配しないで、もう一杯イコ」「でも新聞見てると心配でならないわ」「絶対ダイジョーブ」。その時は自信たっぷりに答えたが、後で酔いが覚めてから気になりだした。

 確かに最近の半島情勢は不穏である。絶対大丈夫という保証はない。不穏と言えば、私が初めて韓国の釜山に赴任した1983年には怖い経験をした。確か休日だったと思うが、赴任間もない私は仮の宿所であるホテルでテレビのプロ野球を見ながらくつろいでいたが、突然、選手が全員、ベンチに引き上げ出した。

 当時は韓国語はさっぱり分からなかったが、アナウンサーの口調からして、何か重大事件が起こったようである。続いて、韓国人の同僚が緊張した声で電話をかけてきた。

「大西さん、北が攻めて来たよ。直ぐ逃げて」「逃げるってどこに逃げたら良いの?」「とりあえずホテルの地下へ隠れなさい」。これは着任早々えらいことになった、この三流ホテルでは助からないな、一巻の終わりかも知れんな、と短く不幸な人生に想いを馳せながら慌てて着替えていると、彼から再度電話があった。「北か中国の飛行機が亡命して来たみたい。逃げなくても大丈夫」。何だか事情がよく分からないまま、とにかく助かったようでホッとした。

 半島の緊張は定期的にやってくる。90年9月の金丸訪朝でいわゆる「風穴があいた」時は、日朝間に春風が吹き出した。日本企業のミッションも派遣された。

 ところが94年に「ソウルは火の海」発言で緊張は高まり、98年にはテポドン・ミサイルが飛んできた。その後、南北首脳会談など一進一退の後、昨年9月の小泉訪朝で緊張緩和の期待は高まっていたのだが・・・。

 関係諸国の利害と面子と政治的駆け引きが複雑に絡み合って、真の平和への道は険しい。若者の圧倒的な支持を受けた盧新大統領への期待がかかるが、太陽政策の維持を標榜している盧政権が、強面ブッシュ大統領といかに歩調を合わせられるか、我がサムライ首相は何を出来るのか、なかなか先が見えないが、最近の米国の対話への動きに再度期待がかかる。

 以前、北朝鮮で親しくなった案内人の一人がしみじみと洩らした言葉を思い出す。「今は確かに苦労が多いけれど、必ず報われる日が来るのを信じて頑張っている」。どこの国でも小さな幸せを願う人々の気持ちは変わらない。誰もその願いを踏みにじることは許されない。

 その後、再びカラオケのママに会う機会があった。「私のアパートは古いけれど頑丈な建物で、地下室もついているよ。そんなに心配なら私の家に引越しなさいよ」。彼女からは返事の代わりにビンタが飛んできた。
                 (本紙 2003年1月24日号掲載)


  おおにし・けんいち  福井県生まれ。83-87年日商岩井釜山出張所長、94年韓国日商岩井代表理事、2000年7月から新・韓国日商岩井理事。