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2003/01/17

<随筆>◇釜山はやはり面白い◇ 産経新聞 黒田 勝弘ソウル支局長

 釜山港には対岸の影島につながる橋が2つある。先年、新しい「釜山大橋」ができたため、昨年あたり古くからの「影島大橋」を撤去する話があった。

 影島大橋は日本統治時代にできたもので、70年近くになる。影島との間の海峡を船が通るため、東京の勝鬨橋のように真ん中で開閉する跳ね橋になっていて、長く釜山名物として知られた。いわば釜山のシンボルのようなものだった。

 撤去話が持ち上がった際、市民の間で歴史的建造物として保存論がおき、論争となった。そこでぼくも当時、釜山の新聞のコラムに関連の記事を書いたことがある。

 影島大橋には朝鮮戦争の際の避難生活にまつわるエピソードもあって、混乱の中の避難民たちがこの橋のたもとを尋ね人との間の再会場所にしていたという。日本の敗戦直後のドラマ「君の名は」に登場する数寄屋橋に似ている。数寄屋橋跡には現在、ドラマにちなんだ記念碑がある。

 そこで影島大橋を撤去するのなら、その橋のたもとにぜひ記念碑を立て、韓国近代史、現代史の史跡として記憶に残してほしい、そうすれば観光資源にもなる、と。

 この橋には朝鮮戦争時の避難生活を描いたナツメロ名曲「クッセラ、クムスナ(がんばれクムスナ?)」もある。北の興南港から戦火に追われ非難してきた人たちの哀歓を歌ったもので、影島大橋が避難生活のシンボルとして登場する。そこで記念碑には、この歌の歌詞などもぜひ刻んで記憶に残してほしいものだ、というわけだ。

 撤去論の行方が気になっていたので、先ごろアジア競技大会で釜山に行った折りタクシーの運転手に聞いたところ、とりあえず沙汰止みだといい、撤去話は市民の話題から後退していた。しかし、よく考えて見ると、撤去しなくても先に書いたようなことを記念碑にして残したらどうだろう。歴史勉強をかねた観光名所になる。

 釜山にはもう1つ観光に使える史跡がある。江戸時代(韓国では李朝時代)に日本の出先機関として日本人居留地になっていた「倭館」で、これを何とか復元できないものか。先年、在日韓国人の建築家がCGで復元図面を完成させたと話題になっていたし、堀・前釜山総領事も地元での講演などでしばしば復元をアピールしていた。

 今は跡形もないし、本来は広大なものだったからそのままの復元は無理だ。しかし釜山駅前の草梁あたりが現場だったというから、そのあたりに小規模な公園で部分的に復元し、当時の日韓交流などを展示した歴史記念館を作ればいいと思う。草梁あたりには「古館」という地名が今も残っていて、往時をしのばせるという話も聞いた。

 先年、JR九州だったか、韓国側の協力で、「壬辰倭乱・史跡ツアー」を企画して人気だったという。21世紀なんだから、日韓双方で発想の転換をどんどんしようではないか。
                    (本紙2002年12月6日掲載)


  くろだ・かつひろ  1941年大阪生まれ。京都大学経済学部卒。共同通信記者を経て、現在、産経新聞ソウル支局長。