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2003/05/30

<随筆>◇編集ばあさんになりたい◇ ZOO・PLANNING 尹 陽子 社長

 先月、初めて東京国際ブックフェアに行った。会場に一歩足を踏み入れると最初こそ編集に関わる者として、出展している各出版社の特徴や、装丁のおもしろさを冷静に見ていたが、20分たたないうちに、やっぱり本好きの本性が現れて、宝の山に迷い込んだ盗賊のような気持ちになった。

 韓国のブースも興味深かった。最近の韓国ブームで翻訳本が日本でたくさん読めるようになったのはありがたいが、せっかくなら自分で見つけた韓国の本を翻訳して編集してみたいという野望を抱くようになったからかもしれない。

 ふと、今は亡き父といっしょだったらよかったのにと考えてしまった。本好きだった父ならこの気持ちが共有できたはずなのに。本が大好きなのが父の影響なのは間違いない。字が読めるようになって、本屋には足繁く連れて行ってもらった。小学校の帰りに寄れる小さな本屋さんは、父の計らいでひとりで行ってもつけで本が買い放題だった。

 漫画ばかり買っても、小学生が読まない本を買っても、それで文句もいわれたことは一度もない。本に関してはお大尽であったのを感謝している。いつか家に小さな図書館を作ろう、と父とよく話した。

 そんな環境が一変するのは中学、高校と民族学校で寮生活をするようになってからだった。当時朝鮮学校では日本語禁止、日本語の本も基本的には禁止だった(在日の歴史とか共産主義モノは例外だったが)。寮でも同じこと、小説を読んでいると没収される。週末自宅に戻る時に返してもらえる。

 本を読むことを不条理な理由(資本主義に汚染されるとか言うのだ、まじめに)で注意されるたびに学校が嫌いになった。革命活動や革命歴史の授業がうそ臭くて、ばからしくなっていく。高校になってからはもっと巧妙に仮病を使って寮に帰り、誰にも邪魔されない環境作りに専念しながら、本を隠して読み倒した。

 高校2年の時、同級生と「いま、一番何をしたいか?」というくだらないおしゃべりをしていて「本をいっぱい持って山にこもりたい」と言った私に、「それは現実逃避だよ」と返した同級生を30年近くたっても忘れることはできない。学校と寮生活に辟易として、読書しか逃げ道がないことを彼女に見透かされたような気がしたからだ。以来、本が好きだと人前で言えなくなった。

 先日、小学4年生の姪に「子どもの頃、何になりたかったの?」と質問された。現実逃避の日々を送っていた私は、新聞の「住所不定、無職、遊ぶかね欲しさの犯行」という文字を見るたびに未来の自分をそこに見るような気がしていた。「住所不定、無職の人かな?」と答えると姪っ子は、「えー、いやだぁ」と笑っていた。

 偶然が重なり、自分が愛してやまない活字の仕事をしているいまなら、将来何になりたいか、明確なのだ。「誰の意見も聞き入れない頑固一徹な編集ばあさんになること」姪にいつか話して汚名挽回したい。


  ユン・ヤンジャ  1958年、神奈川県生まれ。在日3世。和光大学経済学部卒。女性誌記者を経て、91年に広告・出版の企画会社「ZOO・PLANNING」設立。