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2004/10/22

<随筆>◇ああ、小鹿島(ソロクト)◇ 崔 碩義 氏

 私は、少年時代からハンセン病に罹った人たちの悲惨な状況を沢山見てきた。これが動機になってハンセン病の問題に関心をもつようになったと思っている。十年以上も前だが、私は急に思い立って、韓国のハンセン病者のメッカともいわれる小鹿島(全羅南道興郡)を訪ねたことがある。まだその頃の小鹿島は「禁断の島」のように外部の者に対してガードが堅く、警備の職員たちの態度もいささか横柄に思われた。しかし、小鹿島の風景は、山紫水明、白砂青松という表現がぴったりするような風光明媚な島であるのが強く印象に残っている。

 日本と違って韓国では解放後、国連のWHOの勧告にしたがって、それまでのハンセン病の隔離政策を廃止して、各地に定着村を設ける方向に移行した。だからといって韓国社会のハンセン病に対する嫌悪感が無くなったかといえば、決してそうではなく、依然として根強いのには変わらない。とにかく現在の小鹿島は治療を主とした国立病院としての役割をしているのである。

 かつて、朝鮮ではハンセン病が猛威を揮っていた時期があった。不幸にしてこの病気に取り付かれたら最後、忽ち社会の偏見と差別、迫害に曝され、親兄弟とも縁を切らざるを得なくなる。そんな悲惨な境遇に落ち込んだ患者たちが各地をさ迷った果てに、小鹿島に送り込まれたのである。彼らは、ひとたびこの島に来れば、再び生きて島を出られないことを覚悟しなければならなかった。

 さて、小鹿島では知り合ったばかりの趙孟奎氏チョ・メンギュの案内で、島の主な施設を見て回った。最初に訪れた不自由者病棟で、ハンセン病がもたらしたむごたらしい後遺症の患者たちの実情に接して大きな衝撃を受けた。私は思わず「これが同じ人間なのか、天はなぜこの人たちだけ、かかる試練を与えるのか。これでは余りにも不公平ではないか」と、叫び声を挙げたかった。

 次に、小高い丘の上に建つ、ドーム型の納骨堂である萬霊堂マンリョンダン(恨マン鹿ロク堂ダン)を訪れた。この島で死んでいった多くの患者たちが、ここで永遠の眠りについているのである。早速、合掌し黙祷をする。それにしても、丘の上からの眺望の素晴らしさに、私は思わず嘆声をあげた。眼下に黄色いケナリをはじめ、赤や白い花が咲き乱れ、樹木の緑が広がっている。その向こうに浮かび上がる海岸線と白浜がこれまた一枚の絵のように美しい。
 
 続いて、患者たちの労働で建設されたという中央公園を見て歩く。公園の一角に、以前から一度見たいと思っていたムンドゥンイ(ハンセン病患者)詩人韓何雲ハン・ハウンの立派な「麦笛」の詩碑が建っていた。最後に、白亜の病院本館を時間をかけて見学した。この旅を通じて私は、ハンセン病患者に如何に対するかということは、自ずから人間性の根源的な問題であるという思いを強くしたのである。
 
 
  チェ・ソギ  フリーライター。立命館大学文学部卒。朝鮮近代文学史専攻。慶尚南道出身。近著に『金笠詩選』(平凡社・東洋文庫)がある。