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2004/08/13

<随筆>◇「在日」と「韓流」◇ 金 好植 氏

 「在日」は「韓流」の急激な流れの前に押し流されている。

 近年日本に住みついたニューカマーと呼ばれる韓国人達の「韓流」と文化の「韓流」は日本社会に留まることのない激流となっている。単純なメロドラマに心を奪われるのは何故なのだろうか。昔、日本人の心をとらえた「二十四の瞳」や「君の名は」のような単純なストーリーとすれ違いの世界に心ときめかした時代があった。日本人の中に「心」がよみがえったのかも知れない。
 
 「文化=余裕」が持論の私にとって、日本の中で文化が根付いたからだと感じている。韓国のドラマは韓国人の夢と強い願望意識の中から製作されているのではないだろうか、そして日本の視る側は、あゝあんな時代もあったなあと余裕の中での感嘆なのかも知れない。
 
 都内の繁華街では韓国語が飛び交い、特に大久保界隈では生活感溢れるコリアタウンと化している。何しろ活気が溢れているのだ。日本人はみな一様に、コリアンパワーを感じ口にしている。観光で行った南大門、東大門市場でその熱気に圧倒された人々が、大久保に食材を求め、韓国風の食堂で胃袋を満たしているのだ。かつて上野の宝ホテル裏にあった親善マーケットにドブロクやホルモンを求めて行った頃の暗さが全然ないのだ。
 
 周りを気にしながらひそひそ話のように韓国語を話していた頃が嘘の様に、大きな声で明るく話ながら歩く若い女性達がとても眩しいくらいだ。時代は着実に変わって来ている。本名を堂々と名乗り、キムチをバリバリ食べ、テレビや雑誌で自分の主張が通る。在日1世、2世が目を丸くしながら昔は何だったのか、良い時代になったものだと口をポカンとあけているのが良くわかる。
 
 しかし、そういう人々が在日のリーダーシップをとる時代も「韓流」の前に静止状態だ。文化も然り、在日の文化って何なのだろうかと考える良い時期が来たと言える。本国の模倣の中で育った文化を在日の文化と言えるのだろうか、在日の中から新しい文化は生まれ育ったのだろうか。私自身、ジレンマに追い込まれてしまっている。
 
 もちろん、育っている分野が無い訳ではない。日本でもかつてそうであった様にコピーの中からオリジナル性を見出し、新しい文化を作り上げてきた時代があった訳だからこの先素晴らしい文化が築かれる証しの時代なのかもしれない。凄まじく急激に変わりつつある時代の真っ只中にあって、ため息ばかり出てしまう今日この頃だ。

 韓国女性の美しさ、奥ゆかしさが褒め称えられた事はあったが、清潔感があり、スター性のある韓国人男性が出現するとは……。私は信じられない。

  キム・ホシク(岡宏)  1941年東京生まれ。日本大学芸術学部在学中よりバンドマスター。(株)千秋企画社長。日本作曲家・作詞家・著作権協会会員。