私はソウルに行くたびに、鍾路二街にあるYMCAホテルをよく利用する。三流ホテルではあるが、交通の便がよく、教保文庫にも近いからである。
ところで地名のジョンロを漢字で表記する場合、鍾路と書くべきか、それとも鐘路と書くべきかで迷った覚えがある。しかもどちらも同じ発音だ。例えば、鍾路区庁が発行している案内図には鐘路としているが、韓国観光公社の地図の方では鍾路となっていて紛らわしい。
漢和辞典で調べてみると、鐘という字は明らかに音の出るかねのことだが、鍾の方は酒を入れる瓶のことで意味が全く異なる。
鍾路という名称は現在、地名や区名に広く使われているが、元はといえば、ソウルの中心街の道路の名に由来する。朝鮮王朝時代の昔から東大門から光化門に至る道は幹線国道として、五十尺ないし八十尺もの道幅を誇った大道で、その両側に、多くの富商が軒を連ね、また中小の商家、酒店が道に張り出して賑わっていたという。ソウルは政治都市であると同時に一大消費地でもあったのだ。
最初は、人と物資が雲霞のように集まる道路だといって雲従街と命名されたが、そのうちに朝晩打ち鳴らす鐘楼の鐘の音にあやかって鐘路と改名されたという。それがいつの間にか、今度は鍾路と変わった。その理由は定かではないが、多分、道路の両側に酒を売る店が多かったことと無関係ではなかろう。こうした訳で鍾路という表記の方が今のところ正しい。
ここで、鍾路の商家の富のことに関連していえば、潤松美術館を創立した全潤松は鍾路の富豪の家に生まれ、生家と養家の両方から莫大な遺産と鍾路の商権を引き継いだ。彼は、その金に糸目をつけずに買い戻したという。
もう1つ話題を提供すると、英国人のベッセルが創刊した『大韓毎日新報』の1911年6月8日の社説に『路上に脱糞するなかれ』という題で次のような記事が載っている。
「商家などは屋内に木器を置いて放尿し、それを路上に捨てる。自分の家の門前に汚物を捨てるとは、まことに恥ずべきことですぐに止めるべきである」と。
文明開化の過程の衛生観念が不足していた当時、鍾路の路上に排泄物が散乱していたのは想像に難くない。昔、道路上に汚物を撒き散らすという生活習慣は何も朝鮮人に限ったことではなく、多かれ少なかれ、どこの国でもやっていたのである。そもそも西欧の貴婦人のハイヒールは、これらの汚物を避けるために考案された靴だったではないか。
20世紀の中ごろ、鍾路一帯を縄張りにしていたカンペ(ヤクザ)の親分金斗漢は、鍾路から国会議員に当選したのはよいが、議政壇上から糞尿をまき散らすという前代未聞の事件を起こした。この金斗漢の父親は独立運動の英雄金佐鎮将軍であったことは有名。鍾路の広かった道路も、今では近代的なビルが林立し、当時の面影は残っていない。
チェ・ソギ フリーライター。立命館大学文学部卒。朝鮮近代文学史専攻。慶尚南道出身。近著に『金笠詩選』(平凡社・東洋文庫)がある。