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2004/04/16

<随筆>◇懐かしい便り◇ 大西 憲一 新・韓国日商岩井理事

 韓国の春はケナリ(レンギョー)で始まると言うが、今年もあの鮮やかな黄色が戻ってきた。去年のケナリは、私が尊敬していたO先輩の悲報をもたらしたが、今年は懐かしい便りを運んできた。連絡が途絶えてから1年以上になるある女性から久しぶりに電話があった。

 「今度結婚するのだけど、その前に命の恩人にお礼を言いたくて」。命の恩人とはオーバーだが、彼女は日本人駐在員にこよなく愛されている「ハンナムドン・カラオケ街」の、とある店のアルバイト・アガシであった。その素人っぽい愛らしさと明るい性格で人気は抜群、当然彼女目当ての客も多く、経済的な事情で滅多に顔を出さない小生などは遠くから眺めているだけであった。

 彼女は大学で演劇を専攻していたようで、それだけに表情が豊かであり話術にも長けていた。また、時々チマチョゴリ(民族衣装)やイブニングドレスのような華麗な衣装を身に付けて、店の雰囲気を盛り上げていた。

 「お客さんは高いお金を払うんだから、精一杯楽しませてあげるのが私達の務め」としっかりしたサービス哲学を持っていた。都会の雑踏に咲く可憐なスミレのような風情があった。ある時、マイクを離さないお客を待ちながら所在なげにしていた小生に、年恰好から言って人畜無害な相談相手になると考えたのか、彼女が話しかけてきた。

 「私、お酒はあまり飲めないので衣装で勝負しているのだけど、いろいろ言う人が多くて困っているの。やっぱりおかしいですか?」「私は大歓迎ですよ」。この業界は、いわゆる「妬み」や「いじめ」が結構多いらしい。その内に「ママがしばらく休養するので、私が臨時ママを引き受けちゃった」と言って、一時期、店を切り盛りしていたが、ショータイムを作って自ら韓国舞踊を披露するなど持ち前の才覚を発揮、異色ママとして店は繁盛していたが、それだけに回りの批判もかなりあったらしい。

 ある日久しぶりに、それも閉店間際にすっかり出来上がったお客と店に顔を出した時、店の従業員はほとんど帰宅した後で、彼女もかなり酩酊状態であった。そして怪しげな足取りでマイクを握っていた彼女が突然崩れ落ちるように倒れた。

 慌てて駆け寄ると顔面蒼白で呼吸も苦しそう。急いで水を飲ませたが状態は益々悪くなるばかり。その内に意識が無くなり、大声で呼んでも反応しない。危険な状態だ。

 レジの女性が救急車を呼ぶ間ももどかしく、比較的酔いの軽い小生が彼女を抱きかかえて、3階から1階まで狭い階段を一気に駆け下りた。救急車が到着するまでの時間がやけに長く感じられた・・。

 祈るような気持ちで店に待機していた我々に、病院に同行したレジの女性から「何とか助かりそう」との電話が入った。極度の疲労が原因だと言う。臨時ママで相当無理をしていたようだ。この事件のしばらく後に彼女は店を辞めたと聞いた。この業界は彼女には荷が重すぎたのかも知れない。その後音信不通だったが、ケナリの咲いた春の始めに懐かしい便りがあった。


  おおにし・けんいち 福井県生まれ。83-87年日商岩井釜山出張所長、94年韓国日商岩井代表理事、2000年7月から新・韓国日商岩井理事。